FHF
明日より7月であります。
と、いうことは、気がつくと
2009年も半分が終わったという
ことになるのです。

僕が年を重ねたせいもあるのですが、
時間の経つのの早さを

実感しますね。

1年の中で、最も日の出が早い日から
だいたい一週間後に夏至が来ます。

夏至は、暦の上では
冬への折り返し点でありますが、
夏至からだいたい一週間たつと、
実質上、1年の折り返し点になるのです。

ここしばらくで、ようやく
夏日に突入するなど
気温が上がり、

ルピナスに加えて
ラベンダーも開花をはじめて

富良野の初夏は、
いよいよ鮮やかになってきます。


6月29日オンエア 第220回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
放送を終えました。

先々週からは、北海道に住んでいると最も敏感に感じる
領土問題である、北方領土問題について


たとえば、北方領土について、麻生首相が
ロシア人が北方領土に滞在しているのを
不法占拠だと指摘したり、

北方領土の早期返還を内容の中心とした
北方領土問題等解決促進特措法改正案が
衆議院本会議で可決をされたことについてと、

その国内の動きについて、
ロシアの外交筋が反発しているという話や
外務省の見解などを交えながら
紹介していますが、


こんなニュースもありました。



ロシア下院が対日非難決議採択…北方領土問題めぐって
6月25日10時31分配信 読売新聞
【モスクワ=緒方賢一】ロシア下院は24日、北方領土を日本の「固有の領土」と明記した北方領土問題等解決促進特別措置法改正案の撤回を求める非難決議を採択した。

 麻生首相とメドベージェフ大統領の間で7月にイタリアで行われる予定の首脳会談を前に、ロシアでは領土問題での歩み寄りを拒否する強硬論が勢いづいている。

 非難決議は、北方領土がロシア(旧ソ連)に移ったのは第2次大戦の結果であると明記し、特措法改正案は日本政府に対露交渉での譲歩を禁じていると指摘。日本の国会が今回の法改正を無効としなければ日露交渉は意味を持たないと主張している。特措法改正案は6月前半に衆院を通過した。
 メドベージェフ大統領は麻生首相が「北方領土ではロシアの不法占拠が続いている」と国会答弁したことに反発を示している。


<ロシア下院>北方領土交渉中止を…日本の法改正案撤回要求
6月25日1時59分配信 毎日新聞

【モスクワ大木俊治】ロシア下院は24日、日本の衆院が可決した北方領土問題等解決促進特措法改正案の撤回を求める声明を採択した。インタファクス通信によると、声明は「(日露間の)平和条約問題の解決への努力は、可決された法改正が無効になった場合のみ意味を持つ」として、大統領や政府に対し、改正が撤回されるまで領土交渉を中止するよう求めている。

 声明に法的拘束力はない。ただ、北方四島について「我が国固有の領土」と明記した同法改正案の可決や、麻生太郎首相が「ロシアの不法占拠が続いている」と発言するなど最近の日本側の動きにロシア側は強く反発。7月のイタリアでの主要国首脳会議(サミット)の際に行われる日露首脳会談に影響を及ぼす可能性もある。


衆院可決の北方領土特措法案 露下院が撤回要求
6月25日7時58分配信 産経新聞

【モスクワ=佐藤貴生】北方領土を「わが国固有の領土」と明記した北方領土問題解決促進特別措置法改正案が衆院を通過したのを受け、ロシア下院は24日、この改正案が撤回されない限り、交渉を行わないよう政府に求める声明を採択した。インタファクス通信が伝えた。7月にイタリアで開かれる主要国首脳会議(G8サミット)のさいに日露首脳会談が行われる予定だが、ロシア政界の反発は強く、北方領土問題が進展する見通しは遠のいた。

 グリズロフ下院議長はこの日の採択前、こうした趣旨を法案化する意向も示唆した。BBCロシア語放送によると、下院で意見を述べた自由民主党のジリノフスキー党首は北朝鮮の核開発を引き合いに出し、日本の改正案を「立法府による侵略だ」と強く批判した。他の政党からも、「日露関係の潜在力を脇へ追いやる決定だ」「日本の政界や社会は、第二次大戦の結果を見直すことに関心がある」といった意見が相次いだ。

 5月中旬に訪日したプーチン首相は麻生太郎首相との会談で、「すべての障害を取り除く必要がある」と述べ、領土問題解決に真剣な姿勢を示したとみる向きもあった。しかし、メドべージェフ大統領は5月29日、河野雅治大使の信任状奉呈式の場で、「(北方四島を含む)クリール諸島のロシアの主権を疑問視するような試みは、平和条約交渉の促進につながらない」と異例の発言をし、ロシア側の交渉姿勢に変わりがないことを強調していた。


露、政経分離一段と 北方領土特措法案 下院が撤回要求
6月26日7時58分配信 産経新聞

【モスクワ=佐藤貴生】7月に予定される日露首脳会談を前に、北方領土問題をめぐるロシア側の強硬姿勢が目立っている。5月に訪日したプーチン首相は領土交渉に前向きな姿勢を示唆して経済協力の強化という実利を手にしたが、ロシアはそれ以降、領土問題では一貫して厳しい態度を打ち出している。国内経済が底を打つ気配がみえないなかで、経済協力拡大を優先させて領土問題を棚上げするロシア側の思惑通りの展開になりつつある。

 露下院は24日、北方領土問題解決促進特別措置法改正案が今月11日に衆院を通過したのを受け、この改正案を撤回しない限り、領土交渉を行わないよう政府に求める声明を採択した。改正案は、北方領土が「わが国固有の領土」であることを初めて明記した。政権に近いグリズロフ下院議長は声明の趣旨の法案化も辞さない姿勢を示した。

 メドべージェフ大統領も5月下旬、「(北方領土を含む)クリール諸島へのロシアの主権を疑問視するような企ては受け入れられない」と述べ、7月のイタリア主要国首脳会議(G8サミット)で予定される日露首脳会談に向け、「領土問題では妥協しない」と日本側を牽制(けんせい)した形だ。

 プーチン首相は訪日時、「協力を妨げるすべての障害を取り除きたい」と述べつつも、具体的な方策には言及しなかった。一方、経済面では、露財界人ら300人以上を同行。原子力協力協定締結のほか、エネルギー、金融など多岐にわたる経済協力の推進で日本側と合意した。

 日本は同協定締結を踏まえ、原発の使用済み核燃料の再処理をロシアに委託する意向とされる。今年初めには露極東からの液化天然ガス(LNG)の日本への搬出も始まった。エネルギー分野の対露依存は日本の国益を左右しかねない段階にさしかかっており、領土問題が進展しなくても経済協力に大きな影響はない-とロシア側が判断しても不思議ではない。

 ロシアは最近、旧ソ連時代の歴史を見直す周辺国の動きに神経をとがらせており、今回の法改正案をめぐる露下院の審議でも、「第二次大戦の結果を見直そうとする動きだ」と日本側を批判する意見が出た。クレムリンが首脳会談に向け、どのような方針を打ち出すかはまだ未知数だが、経済協力の深化が領土問題の解決にはつながらない現実が鮮明になりつつある。


さて、ここだけ見ると、
日本とロシアの主張は平行線に感じますが、

日本が領土の正当性を主張する根拠となっている
江戸時代の話ですが、

どのようなことがあったのでしょうか。


ロシアは、もとより南下政策とよばれる
南へ南へと領土を拡大する政策がとられていますが、

16世紀に、コサックの首領・イェルマークが
ツァーリの雷帝イヴァン四世に
シベリアの一部を
献上したことをきっかけとして、
東進政策をもとり
その傾向は、17世紀中頃から加速し、

どんどんとシベリア開拓がすすんでいき、
ただ、清との間に結ばれたネルチンスク条約により、
いったん勢いが止められものの
ロシアは矛先を変えて北方に進出し、
東シベリアをさらに進んで、
17世紀末にはアラスカまで到達します。

そんな成果として、
1701年にカムチャッカ半島を領有することになります。
ただし、その課程では、
現地に居住するアイヌ民族などとの間で交易や
トラブルを起こしつつありました。

そして、ここを拠点として、高価に販売することが出来る
アザラシやラッコなどの毛皮を求めて、

アリューシャン列島や千島列島へと活動の範囲を
広げることになります。

また、この時の皇帝、ピョートル大帝ことピョートル一世は
1701年頃に日本人で、カムチャッカに漂流をしてきた大坂の商人
伝兵衛らと出会うことで、
日本が、シベリアの先にあることを知り、

将来の日本との交易を目指して、
1705年に伝兵衛を教師にして、
都であるサンクトペテルブルクに日本語学習所を設置しました。

ちなみに、ここの日本語学校は
関西弁の講義が行われておりましたし、

伝兵衛の死語は、優秀なロシア人の生徒を教師として、

そして、漂流民がたどり着くと
その漂流民の日本人を教師として

学校は存続しまして、1753年(宝暦3年)には
日本人教授を大幅に増やしてサンクトペテルブルクから
イルクーツクに移転して、
来るべき日本との交渉に備えていました。

その後の漂流民としてここで日本語を教えた人が、
薩摩の漁師だったり
津軽の漁師だったりということで、

少なからず、混乱をしたようなのであります。

歴史の神様は、ジョークがわかる人ですか。


そして、エカテリーナ2世の治世には、
ついにロシア船は択捉島・国後島、
さらに厚岸にまで到達するようになります。


さて、日本は日本で、ロシアの動きに気づき、
江戸幕府が沿岸防備を強化することになります。


この時に、北方に「おろしや」という国があることを
知らせるのに活躍をしたのが、

工藤平助です。


工藤平助は、享保19年(1734年)、
紀州藩医長井氏の三男として生まれますが、

工藤丈庵が仙台藩医となる条件が
妻帯であったということで、工藤家に養子に入ります。

そして平助も仙台藩の藩医となりますが、
医者としての彼が、「解体新書」の前野良沢や、
長崎のオランダ語通詞である吉雄耕牛らの
蘭学者とのコネクションを強くし、
その結果、医学よりも、経世の分野で知られることになります。

中でもそんなコネクションなどで入手したロシアの情勢を
まとめた書物『赤蝦夷風説考』を書き、
ロシアの動きに警鐘をならし、
その対策としての開港・貿易、ならびに
蝦夷地の積極経営などを説いた功績が
最も知られています。


そんな『赤蝦夷風説考』は天明初年(1781年)ごろに刊行されました。
上巻序文には「天明三年癸卯正月日」とあります。

上下2巻。写本には『加摸西葛杜加(カムチャトカ)国風説考』の
書名を持つものもあっていたり、
『魯西亜略説』などの異名もあります。

本書の内容ですが

上巻には、

赤狄風説の事
附録蝦夷地に東西の差別ある事
西蝦夷之事
を載せていて

松前周辺や蘭学者などからの伝聞を元に、
蝦夷地周辺の事情を説いています。

下巻は
カムサスカヲロシヤ私考之事
ヲロシヤの記事 一名ムスコヒヤ
年代之事
ヲロシヤ開業の次第
松前より写し来る赤狄の図説の事
土産物
の諸篇からなり、

オランダ語訳されたドイツ人ヨハン・ヒュプナーの著作
『地理全誌』(万国地誌)(ゼオガラヒー 1769年刊)の第5巻
「ロシア誌」などの蘭書を元に作成した、
ロシアに関する地理書ともいえて
日本における本格的なロシア研究本の
さきがけであるといえます。


なぜこのような書がかかれたかというと、

前述したようなロシアの情勢に加えて、

当時の蝦夷地の情勢によるところが
大きいのでした。

当時、厚岸などでロシアと交渉にあたったのも
松前藩ですし、

それ以外でも、アイヌとの交易権を独占していたのが
松前藩でした。

松前藩は藩内でのコメの生産がない
唯一の藩でしたが、

そのかわりといってはなんですが、
北方の物産を売ることによって
藩の財政をなりたたせていました。

なかでも、昆布をはじめとした海産物は、
藩の財政の中核となり、
そこにアイヌがはたす役割は大きかったのです。

まあ、アイヌから収奪する権利を
与えることで藩の経済がなりたっていたという

なんというか、前近世的な経済体制を
とっていました。

いわばアイヌとの交易は松前にとっての
金づるだったわけです。

そんな既得権益を確保するために、
松前藩は、蝦夷地以北へ日本人が渡航することを
様々な手段で阻害しました。

このため、蝦夷地に関する調査や研究は
大いに遅れることになります。


そして、この当時、江戸幕府で政治の主導権を握っていたのが
老中田沼意次でした。

彼は、幕府がこれまでとっていた
重農主義的政策を重商主義的政策に改めることで
幕府財政を立て直そうとします。

その一環として、赤字続きであった長崎貿易にもメスを入れ
積極的に輸出を奨励することになります。

そんな輸出品として珍重されたのが
俵物とよばれる、ふかひれや、ほしあわび、干したなまこなどの
海産物でした。

ちなみに、ふかひれについては、日本の田沼時代の前後で
清国内での流通量が格段に増え
超高級食材から、ふつうの高級食材に
なっているというデータもあるほどです。

清での食生活を変えてしまうほどの輸出量で
あったのです。

そんな俵物の産地とし、蝦夷地に注目し、
蝦夷地経略に関心を寄せていましたし、

それに加えて、ロシア人南下の脅威に対し、
蝦夷地を松前藩まかせにせず
早急に備える必要性を認識していました。

そこで工藤平助は、なんとか自著を田沼の目に留めようと
上申をした結果、
天明4年5月16日(1784年7月3日)、田沼政権下の勘定奉行松本秀持が
田沼に提出した蝦夷地調査に関する伺書には、
赤蝦夷風説考が添えて出されました。

伺書は「赤蝦夷風説考」を引用しながら、
蝦夷地の肥沃な大地や豊富な産物、
地理的重要性を強調して、
幕府主導による防備・開発を進言している内容でした。

この伺書を受けた田沼意次は、
翌5年(1785年)、幕府主導の下に全蝦夷地沿海への
探索隊を派遣するに至り、
平助の宿願は結実することになります。

しかし、翌天明6年(1786年)に
田沼が失脚をすることによって、
探索隊そのものが、
中途で断絶してしまうことになります。

ただ、工藤の影響によって蝦夷地やロシアに対する関心は
高まりを見せることになりましたし、

平助と同じ仙台藩医・林子平は『海国兵談』を著し、
これに、平助が序文を寄せています。

さて、この海国兵談はどんな書物か
林子平とはどんな人物か


そして、田沼以降の蝦夷地探索の歴史はどうなるのか。


と、いうことについては、
また来週のお話であります。



チベットに対する提案は以下の通り。
(1987年、アメリカ議会の人権問題小委員会での「チベットに関する5項目の和平案」)

・チベット全土を平和地域とする
・チベット民族の存続を脅かす中国の人口移動政策を放棄する
・チベット民族の基本的人権および民主主義に基づく自由を尊重する
・チベットの自然環境を保護し、回復させる。チベットでの核兵器の製造、核廃棄物の投棄をしない
・チベットの将来の地位について、また、チベット人と中国人との関係について、真剣な交渉を開始する

そして、チベット人による本当の自治権が得られれば独立は求めないと譲歩しました。(1988年、「ストラスブール」提案)




ヘタリアに言論と表現の自由を!
民族浄化[ここでは、ある民族のみを浄化した姿で描けという要求]反対!
自由ヘタリア救国民族解放戦線の「イトー×ani」がお届けする
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファントリー)
北海道富良野市と上富良野町・中富良野町など限定で聴く事が出来る、
コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」の
月曜午後五時からオンエアー中

番組へのリクエスト・メッセージは
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