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2008.10.13
紅葉の時期に
十勝岳温泉などの紅葉は
このところの冷え込みのせいもあって
次第に里へと降りてきておりまして
あちらこちらで絶景を見せております。
職場に植えられている木も緑色からオレンジ色へと
鮮やかなグラデーションを見せていますが
これを見ると、京都で見た鮮やかな紅葉と
このグラデーションまでを絶妙に表現した
生麩の入ったお吸い物を
思い出してしまいます。
思えば、夏・冬のイベント以外で
本州へ行くことも
最近ではめっきりと減ってしまい…
京都、久々に
訪れたいな〜と
思いますね。
そんな京都は、古都にして、観光の町でもあるとと同時に
学術の街でもあります。
10月13日オンエアー 第183回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
放送を終えました。
今回、四人のノーベル賞受賞者を
日本人〔南部さんは米国籍ですが〕出しましたが
南部さんが東大卒ということで
東大〔含む東京帝国大学〕卒業の受賞者が
京都大学〔含む京都帝国大学〕卒業の受賞者を
上回りましたが、
理系の分野に限っていうと
まだ京大卒の受賞者のほうが、多いです。
さて、そんなウンチクのひとつも出てくる
ノーベル賞ですが、
ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの
遺言に従って1901年に始まった世界的な賞です。
物理学賞 ・化学賞 ・生理学・医学賞 ・文学賞 ・平和賞・経済学賞
〔経済学賞のみ、正式名称は
アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞です。〕
以上の6部門からなり、
それぞれが世界的な権威を持っています。
特に自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の
3部門における受賞は
科学分野における最大級の栄誉であると考えられています。
近年は医学・生理学賞と化学賞、物理学賞との
境界が曖昧な分野が増えてきています。
今回化学賞を受賞した方が、
医学・生理学賞で受賞するかと思った旨の
発言をされていますが、
そういうことです。
しかも、今回物理学賞も、化学賞も
複数の受賞者がおりましたが
複数人による共同研究や、
共同ではないが複数人による業績が受賞理由になる場合には、
一度に3人まで同時受賞することができるそうです。
また、基本的に個人にのみ与えられる賞ですが、
平和賞のみは団体での受賞が認められています。
賞金額は、2001年から現在まで
1,000万スウェーデン・クローナ〔概算で1億4000万円〕で
賞金の配分については、
受賞者が2人(団体)の場合は全賞金を折半。
受賞者が3人(団体)の場合は、
「1人ずつが単独の研究による受賞」
「3人の共同研究による受賞」
であれば1/3ずつ
「1人が単独、2人が共同研究による受賞」であれば
単独受賞の人物が1/2、
共同受賞の2人が残りの1/2
(1人あたり1/4)を得る形になり
物理学賞はこの形で賞金の配分がされると
マスコミで報道がありました。
選考をするのは物理学賞、化学賞、経済学賞の3部門については
スウェーデン科学アカデミー、
生理学・医学賞はカロリンスカ研究所、
平和賞はノルウェー国会、
文学賞はスウェーデン・アカデミーが
それぞれ行っていて、
受賞者へは賞状とメダルと賞金が与えられます。
ちなみに一億数千万円ものお金、税金はどーなると
思ってしまいますが、
日本居住者がノーベル賞受賞に際して受け取った賞金は、
日本においては所得税法第9条13号ホに基づいて
非課税となります。
これは湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した時、
賞金に課税されることに世論の反発が起こり、
1949年11月24日に、
「贈與(個人からの贈與及び個人以外のものからの贈與のうち、学術、技芸、慈善その他文化的又は社会的貢献を表彰するものとして交付する報奨金品を非課税とする」
と所得税法が改正されました。
湯川博士のノーベル賞が、所得税法をも
変えたのです。
さて
さて、一億数千万の資金はどこから来るのか。
これは、ノーベルの遺産をその遺言に基づいて
ノーベル財団が運営しています。
ただ、経済学賞は1968年に設立され(1969年から授賞)、
その原資はスウェーデン中央銀行の基金によります。
そのため、この賞は正式名称を
「アルフレッド・ノーベルを記念した
経済学におけるスウェーデン中央銀行賞」としておいて、
厳密にはノーベル賞には含めないそうです。
まぁ、日本人でまだ受賞者のいない唯一の分野でありますが
あと、現在は、受賞者が人の場合、
10月の受賞者発表時点で生存していることが条件とされます。
発表された後、12月10日の授賞式までの間に死亡しても、
いったん発表された賞が取り消されることはありません。
原則的にノーベル賞の選考過程は公表されていないので
「ノーベル賞の候補」というものは
公的には存在しないことになりますが、
「いつか受賞するだろう」と目される人物が
各分野に存在するのも事実である。
前々回くらいから今回にいたるまで
受賞をうわさされている村上春樹さんは
その代表例といえるでしょう。
授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に、
平和賞を除く5部門はストックホルム(スウェーデン)のコンサートホール、
平和賞はオスロ(ノルウェー)の市庁舎で行われ
受賞者には、賞金の小切手、賞状、メダルが
それぞれ贈られます。
また、ノーベル賞受賞者は受賞後に
「ノーベル・レクチャー」と呼ばれる
記念講演を行うのが通例になっている。
その後、ノーベル賞受賞者はストックホルム大学や
ストックホルム経済大学などの大学の学生有志団体が
毎年持ち回りで行うパーティーに出席し、
そこで大学生らと希望する受賞者はさらなる躍進を願って
いっせいに「蛙跳び」をするのが慣例となっています。
ここらへんも、前回のノーベル賞日本人受賞者が
出たときに報道されたので
ご存知の方も多いでしょう。
さてさて、ノーベル賞の提唱者
アルフレッド・ノーベル〔1833~1896〕は
スウェーデンのストックホルム生まれ。
生まれたとき、父親は破産したばかりでしたが、
家族と別れてロシアで興した事業が成功。
1842年には父親の住むサンクトペテルブルグに向かい、
のちに親の事業を手伝います。
ここでの主な仕事はロシア軍を相手にした
機雷の製造・設置でした。
やがてクリミア戦争が起きると、
軍から大量の注文があり、大儲けをしますが、
1853年、戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、
軍がそれまでの支払いも延期したため、
事業はたちまち逼迫。父は1859年に再び破産します。
また、ノーベルは父の会社を手伝っているときの
1855年に、知人の化学者が発明した爆薬
ニトログリセリンのことを知り
初めて実用化することに成功しました。
しかし、ニトログリセリンは振動に弱いのに加えて、
狙って爆発させることが難しいという欠点があるので、
起爆装置を開発し1862年に水中爆発実験に成功
1863年にはスウェーデンで特許を得ます。
が、翌年に爆発事故で弟エミール・ノーベルと
助手が死亡しノーベル本人も怪我を負います。
そして、さらを珪藻土にしみこませるなどして
刺激に弱い点を改良、
1866年に安全に使えるようにしたダイナマイトを発明します。
翌年ダイナマイトに関する特許を取得し。
1871年にはダイナマイト生産を開始します。
時にノーベル38歳のことでした。
ダイナマイトは工事現場での岩盤の破壊など、
作業の効率化を進めるものとして広く普及しましたが、
同時に戦争にも爆薬として使用され
これに心をいためたノーベルが
世界平和を願って設立。
と、いうのが、僕が読んだノーベルの伝記でした。
が、このあと、ノーベルは
武器製造工場を買収し
本格的に武器製造へと進出をします。
ノーベルが61歳のときでした。
現在もノーベルの名を冠する会社はヨーロッパ各地にあり、
爆薬製造や化学工業を行っています。
特にドイツにある「ダイナマイト・ノーベル社」は、
対戦車兵器パンツァーファウスト3や
ケースレスライフルG11用弾薬など、
現在も兵器の開発・製造を行っていますが。
そして、武器会社設立の翌年に
遺言状を書き、この内容が
ノーベル賞設立のきっかけとなります、
ただ、この遺言状が何通もあったり
内容が結構矛盾だらけだつたりで
相続執行人を悩ませるようですが
最後に書かれて、最終的に有効とされた遺言状に、
遺産を使って賞を作り、
科学技術、文学、平和など合計5部門に貢献した人物に
賞を贈るように記載されていました。
ノーベル本人はこの賞に名はつけていませんが、
これが「ノーベル賞」です。
そして、この遺言状を残した翌年
1896年12月7日、脳溢血で倒れました。
倒れる1時間前までは普通に生活して、
知人に手紙を書いていたのですが。
倒れた直後に意味不明の言葉を叫び、
かろうじて「電報」という単語だけが聞き取れたそうで
これが最後の言葉となりました。
急ぎ親類が呼び寄せられましたが、
3日後に死亡しました。
生涯独身、子供もなく。
死の床にも召使がいただけで、
駆けつけた親類は間に合わず、
誰もいなかったという
寂しい末路であったそうです。
ノーベルも波乱万丈の人生を歩みますが
ノーベル賞受賞者にも
受賞しなかった者にも
波乱万丈な人生が待っております。
なんてお話は
また来週であります。
ノーベル平和賞受賞者ダライ・ラマ14世の、
チベットに対する提案は以下の通り。
(1987年、アメリカ議会の人権問題小委員会での「チベットに関する5項目の和平案」)
・チベット全土を平和地域とする
・チベット民族の存続を脅かす中国の人口移動政策を放棄する
・チベット民族の基本的人権および民主主義に基づく自由を尊重する
・チベットの自然環境を保護し、回復させる。チベットでの核兵器の製造、核廃棄物の投棄をしない
・チベットの将来の地位について、また、チベット人と中国人との関係について、真剣な交渉を開始する
そして、チベット人による本当の自治権が得られれば独立は求めないと譲歩しました。(1988年、「ストラスブール」提案)
来週もまた科学史のテーマでお話をする
「イトー×ani」がお届けする
FURANO History Factory (F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
コールサインJOZZ1AS-FM 周波数77.1MHz
北海道富良野市とその周辺で聴くことが出来る
コミュニティーFM局「ラジオふらの」の
毎週月曜日午後五時からオンエアー中
番組へリクエスト・メッセージは
〒076-0026 富良野市朝日町5-17 レストランふらの広場内ラジオふらの
E-mail radio@furano.ne.jp FAX 0167-22-2787
リクエストなどは
当ブログのコメント欄でも
受け付けています。
このところの冷え込みのせいもあって
次第に里へと降りてきておりまして
あちらこちらで絶景を見せております。
職場に植えられている木も緑色からオレンジ色へと
鮮やかなグラデーションを見せていますが
これを見ると、京都で見た鮮やかな紅葉と
このグラデーションまでを絶妙に表現した
生麩の入ったお吸い物を
思い出してしまいます。
思えば、夏・冬のイベント以外で
本州へ行くことも
最近ではめっきりと減ってしまい…
京都、久々に
訪れたいな〜と
思いますね。
そんな京都は、古都にして、観光の町でもあるとと同時に
学術の街でもあります。
10月13日オンエアー 第183回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
放送を終えました。
今回、四人のノーベル賞受賞者を
日本人〔南部さんは米国籍ですが〕出しましたが
南部さんが東大卒ということで
東大〔含む東京帝国大学〕卒業の受賞者が
京都大学〔含む京都帝国大学〕卒業の受賞者を
上回りましたが、
理系の分野に限っていうと
まだ京大卒の受賞者のほうが、多いです。
さて、そんなウンチクのひとつも出てくる
ノーベル賞ですが、
ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの
遺言に従って1901年に始まった世界的な賞です。
物理学賞 ・化学賞 ・生理学・医学賞 ・文学賞 ・平和賞・経済学賞
〔経済学賞のみ、正式名称は
アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞です。〕
以上の6部門からなり、
それぞれが世界的な権威を持っています。
特に自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の
3部門における受賞は
科学分野における最大級の栄誉であると考えられています。
近年は医学・生理学賞と化学賞、物理学賞との
境界が曖昧な分野が増えてきています。
今回化学賞を受賞した方が、
医学・生理学賞で受賞するかと思った旨の
発言をされていますが、
そういうことです。
しかも、今回物理学賞も、化学賞も
複数の受賞者がおりましたが
複数人による共同研究や、
共同ではないが複数人による業績が受賞理由になる場合には、
一度に3人まで同時受賞することができるそうです。
また、基本的に個人にのみ与えられる賞ですが、
平和賞のみは団体での受賞が認められています。
賞金額は、2001年から現在まで
1,000万スウェーデン・クローナ〔概算で1億4000万円〕で
賞金の配分については、
受賞者が2人(団体)の場合は全賞金を折半。
受賞者が3人(団体)の場合は、
「1人ずつが単独の研究による受賞」
「3人の共同研究による受賞」
であれば1/3ずつ
「1人が単独、2人が共同研究による受賞」であれば
単独受賞の人物が1/2、
共同受賞の2人が残りの1/2
(1人あたり1/4)を得る形になり
物理学賞はこの形で賞金の配分がされると
マスコミで報道がありました。
選考をするのは物理学賞、化学賞、経済学賞の3部門については
スウェーデン科学アカデミー、
生理学・医学賞はカロリンスカ研究所、
平和賞はノルウェー国会、
文学賞はスウェーデン・アカデミーが
それぞれ行っていて、
受賞者へは賞状とメダルと賞金が与えられます。
ちなみに一億数千万円ものお金、税金はどーなると
思ってしまいますが、
日本居住者がノーベル賞受賞に際して受け取った賞金は、
日本においては所得税法第9条13号ホに基づいて
非課税となります。
これは湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した時、
賞金に課税されることに世論の反発が起こり、
1949年11月24日に、
「贈與(個人からの贈與及び個人以外のものからの贈與のうち、学術、技芸、慈善その他文化的又は社会的貢献を表彰するものとして交付する報奨金品を非課税とする」
と所得税法が改正されました。
湯川博士のノーベル賞が、所得税法をも
変えたのです。
さて
さて、一億数千万の資金はどこから来るのか。
これは、ノーベルの遺産をその遺言に基づいて
ノーベル財団が運営しています。
ただ、経済学賞は1968年に設立され(1969年から授賞)、
その原資はスウェーデン中央銀行の基金によります。
そのため、この賞は正式名称を
「アルフレッド・ノーベルを記念した
経済学におけるスウェーデン中央銀行賞」としておいて、
厳密にはノーベル賞には含めないそうです。
まぁ、日本人でまだ受賞者のいない唯一の分野でありますが
あと、現在は、受賞者が人の場合、
10月の受賞者発表時点で生存していることが条件とされます。
発表された後、12月10日の授賞式までの間に死亡しても、
いったん発表された賞が取り消されることはありません。
原則的にノーベル賞の選考過程は公表されていないので
「ノーベル賞の候補」というものは
公的には存在しないことになりますが、
「いつか受賞するだろう」と目される人物が
各分野に存在するのも事実である。
前々回くらいから今回にいたるまで
受賞をうわさされている村上春樹さんは
その代表例といえるでしょう。
授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に、
平和賞を除く5部門はストックホルム(スウェーデン)のコンサートホール、
平和賞はオスロ(ノルウェー)の市庁舎で行われ
受賞者には、賞金の小切手、賞状、メダルが
それぞれ贈られます。
また、ノーベル賞受賞者は受賞後に
「ノーベル・レクチャー」と呼ばれる
記念講演を行うのが通例になっている。
その後、ノーベル賞受賞者はストックホルム大学や
ストックホルム経済大学などの大学の学生有志団体が
毎年持ち回りで行うパーティーに出席し、
そこで大学生らと希望する受賞者はさらなる躍進を願って
いっせいに「蛙跳び」をするのが慣例となっています。
ここらへんも、前回のノーベル賞日本人受賞者が
出たときに報道されたので
ご存知の方も多いでしょう。
さてさて、ノーベル賞の提唱者
アルフレッド・ノーベル〔1833~1896〕は
スウェーデンのストックホルム生まれ。
生まれたとき、父親は破産したばかりでしたが、
家族と別れてロシアで興した事業が成功。
1842年には父親の住むサンクトペテルブルグに向かい、
のちに親の事業を手伝います。
ここでの主な仕事はロシア軍を相手にした
機雷の製造・設置でした。
やがてクリミア戦争が起きると、
軍から大量の注文があり、大儲けをしますが、
1853年、戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、
軍がそれまでの支払いも延期したため、
事業はたちまち逼迫。父は1859年に再び破産します。
また、ノーベルは父の会社を手伝っているときの
1855年に、知人の化学者が発明した爆薬
ニトログリセリンのことを知り
初めて実用化することに成功しました。
しかし、ニトログリセリンは振動に弱いのに加えて、
狙って爆発させることが難しいという欠点があるので、
起爆装置を開発し1862年に水中爆発実験に成功
1863年にはスウェーデンで特許を得ます。
が、翌年に爆発事故で弟エミール・ノーベルと
助手が死亡しノーベル本人も怪我を負います。
そして、さらを珪藻土にしみこませるなどして
刺激に弱い点を改良、
1866年に安全に使えるようにしたダイナマイトを発明します。
翌年ダイナマイトに関する特許を取得し。
1871年にはダイナマイト生産を開始します。
時にノーベル38歳のことでした。
ダイナマイトは工事現場での岩盤の破壊など、
作業の効率化を進めるものとして広く普及しましたが、
同時に戦争にも爆薬として使用され
これに心をいためたノーベルが
世界平和を願って設立。
と、いうのが、僕が読んだノーベルの伝記でした。
が、このあと、ノーベルは
武器製造工場を買収し
本格的に武器製造へと進出をします。
ノーベルが61歳のときでした。
現在もノーベルの名を冠する会社はヨーロッパ各地にあり、
爆薬製造や化学工業を行っています。
特にドイツにある「ダイナマイト・ノーベル社」は、
対戦車兵器パンツァーファウスト3や
ケースレスライフルG11用弾薬など、
現在も兵器の開発・製造を行っていますが。
そして、武器会社設立の翌年に
遺言状を書き、この内容が
ノーベル賞設立のきっかけとなります、
ただ、この遺言状が何通もあったり
内容が結構矛盾だらけだつたりで
相続執行人を悩ませるようですが
最後に書かれて、最終的に有効とされた遺言状に、
遺産を使って賞を作り、
科学技術、文学、平和など合計5部門に貢献した人物に
賞を贈るように記載されていました。
ノーベル本人はこの賞に名はつけていませんが、
これが「ノーベル賞」です。
そして、この遺言状を残した翌年
1896年12月7日、脳溢血で倒れました。
倒れる1時間前までは普通に生活して、
知人に手紙を書いていたのですが。
倒れた直後に意味不明の言葉を叫び、
かろうじて「電報」という単語だけが聞き取れたそうで
これが最後の言葉となりました。
急ぎ親類が呼び寄せられましたが、
3日後に死亡しました。
生涯独身、子供もなく。
死の床にも召使がいただけで、
駆けつけた親類は間に合わず、
誰もいなかったという
寂しい末路であったそうです。
ノーベルも波乱万丈の人生を歩みますが
ノーベル賞受賞者にも
受賞しなかった者にも
波乱万丈な人生が待っております。
なんてお話は
また来週であります。
ノーベル平和賞受賞者ダライ・ラマ14世の、
チベットに対する提案は以下の通り。
(1987年、アメリカ議会の人権問題小委員会での「チベットに関する5項目の和平案」)
・チベット全土を平和地域とする
・チベット民族の存続を脅かす中国の人口移動政策を放棄する
・チベット民族の基本的人権および民主主義に基づく自由を尊重する
・チベットの自然環境を保護し、回復させる。チベットでの核兵器の製造、核廃棄物の投棄をしない
・チベットの将来の地位について、また、チベット人と中国人との関係について、真剣な交渉を開始する
そして、チベット人による本当の自治権が得られれば独立は求めないと譲歩しました。(1988年、「ストラスブール」提案)
来週もまた科学史のテーマでお話をする
「イトー×ani」がお届けする
FURANO History Factory (F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
コールサインJOZZ1AS-FM 周波数77.1MHz
北海道富良野市とその周辺で聴くことが出来る
コミュニティーFM局「ラジオふらの」の
毎週月曜日午後五時からオンエアー中
番組へリクエスト・メッセージは
〒076-0026 富良野市朝日町5-17 レストランふらの広場内ラジオふらの
E-mail radio@furano.ne.jp FAX 0167-22-2787
リクエストなどは
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