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2008.09.15
中秋の名月
昨日食事に行ったのですが
残念ながらいろいろとイマイチだったので
少しヘコみながら車を走らせました。
そしたら、真っ正面に見えたキレイな月に
目を奪われました。
思わず見とれてしまうほどの。
冷たいような明るいような
そんな美しくもフシギな月の光を見ているうちに
軽くヘコんだことなど
とんでしまいました。
自然には人を癒す偉大な力があります。
天保暦(いわゆる旧暦)8月15日の月が
「中秋の名月」として知られておりまして、
お月見をするのがならわしとなっています。
今年は9月14日が十五夜で中秋の名月なのですが
月齢が15であるのは
実は今朝(15日)だということです。
中秋の名月は満月とは限らず、
今年の場合は満月1日前となったのです。
ですから、
昨日は、左側がほんのわずかに欠けているものの、
美しい月を眺めて、癒されたというわけです。
ですから、本日は、さらに美しい
満月にお目にかかることが出来るのです。
一息ついて
空を見上げてみませんか。
9月15日オンエアー 第179回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
放送を終えました。
先日の時事通信の記事です。
「【モスクワ13日時事】ロシア外務省は13日、グルジア西部のポチ、セナキなどにとどまっていたロシア軍部隊がグルジア領から撤退したとの声明を発表した。AFP通信によると、グルジア内務省もこれに先立ち、ロシア部隊がポチなどの5カ所の陣地を閉鎖し、部隊の車列がアブハジア自治共和国に向かっていることを確認していた。
ポチなどからの撤退は、メドベージェフ・ロシア大統領が欧州連合(EU)議長国フランスのサルコジ大統領らとの8日の会談で合意していた。停戦合意後もロシア軍部隊がグルジア西部に駐留を続けていたことに国際社会から強い非難が出ていたが、撤退で一定の緊張緩和が進みそうだ。」
こちらは、高村外相の談話です。[外務省のHPより]
グルジア・南オセチア情勢について
平成20年9月9日
1.8日、サルコジ仏大統領がロシアを訪問し、メドヴェージェフ露大統領他と会談を行い、武力衝突以前のラインまでのロシア軍の撤退、少なくとも200人のEUからの監視員を含む国際監視メカニズムの構築、本年10月15日のジュネーヴにおける南オセチア及びアブハジアの安全と安定の確保等に関する国際的な議論の開始などで合意した。
2.我が国は、国際法にのっとった領土保全の原則に基づく平和的解決を一貫して支持しており、今次訪問の成果は、グルジアにおける紛争の平和的解決に向けた前向きな進展と評価している。
3.我が国は、紛争開始直後よりサルコジ仏大統領のイニシアティブによるEUの和平仲介努力を一貫して支持している。今回の合意が現場において着実に実施されることが重要であり、引き続き情勢を注視していく所存である。
4.また、10月15日に開始される予定の南オセチア及びアブハジアの安全と安定の確保等に関する国際的議論を行うことで合意されたが、この国際的議論を通じ、南オセチア及びアブハジアをめぐる諸問題が国際社会の受け入れられる形で解決されることを期待する。
といったことで、
ある程度の方向性が
見えてきておりますが、
そもそもこの問題というのは、
旧ソ連から分離したロシア以外の国々の中に
自治を要求している地域があり
その中で親ロシアをかかげていたりすることが
原因としてあります。
そして、前述のサルコジ大統領のもと
政治を行っているフランス外相が
懸念を表明している地域としてあげたのが
アブハジア・南オセチア・ナゴルノカラバフ・ドニエストルとともに
クリミアでした。
アブハジア・南オセチア・ドニエストルについては
当番組でもお話をしましたが
「クリミア自治共和国」については
まだお話しておりませんでした。
さて、クリミア自治共和国は
ウクライナの中にあります。
ウクライナは、旧ソ連の中で
ヨーロッパ寄りにある国の一つで
「欧州への統合」を掲げつつも、
欧米とロシアの間の均衡を模索する路線をとっています。
エネルギーの大部分をロシアからの輸入に依存しているので
経済的にロシアとの深い繋がりが続いている一方で、
EUへの加盟を目指しています。
首相も親欧米派のティモシェンコ氏です。
欧米諸国も経済改革、非核化、原発安全性向上等の
対ウクライナ支援を実施しています。
チェルノブイリの原発事故も
現在ウクライナの国域ですか。
核兵器について、旧ソ連邦から残された核兵器の移送・解体を
西側諸国が支援をしていまして、
1996年6月には全ての核弾頭の移送・解体が終了しました。
そして、ウクライナは1995年11月には
欧州評議会(CE)に加盟し、
1998年に「EU・ウクライナ・パートナーシップ憲章」に署名。
1997年7月NATO・ウクライナ憲章を締結して、
2002年5月にはNATOへの加盟意志を表明しました。
だから、欧米と距離を置く立場を取り
旧ソ連の国に対しては、変わらぬ主導権を握りたいロシアとしては、
グルジアのように旧ソ連の国でありながら
欧米へと立場をかえていく国に対して、
今回のアブハジア・南オセチアのような
行動を取りがちなのです。
それで、グルジアの中にあるのが
アブハジア・南オセチアであるなら
ウクライナの中にあるのが
クリミア自治共和国なのです。
クリミア自治共和国は、
東ヨーロッパのクリミア半島に位置する
ウクライナの自治共和国です。
首都はシンフェロポリで、
人口は約255万人、面積は26,140平方キロメートル。
ウクライナの国内でも特にロシア人及び
ロシア語を母語とするウクライナ人
[ウクライナ人の母語は基本ウクライナ語です]が
住民の多数を占める地域で、
ロシア人は現在では全人口のおよそ5割強を占めます。
このためソビエト連邦解体直後に独立が図られ、
独立問題が終息した後も自治共和国になっている地域です。
クリミア半島は、黒海に突き出す形の半島です。
第二次大戦中に「ヤルタ会談」が開かれた「ヤルタ」があり
帝政ロシアでは貴族、ソ連では幹部、
つまり歴代ロシアエライ人たちの保養地として有名な、
温暖気候の場所です。
クリミアの地には、もともとイスラム教徒の国家
クリミア・ハン国がありましたが、
ロシア帝国はハン国を18世紀末に併合して以来、
国の政策としてロシア人とウクライナ人、キリスト教徒の
クリミア移住を進めてきました。
この政策の結果、クリミアはロシア帝国の末期には
すでにウクライナ周辺の中でも
特にロシア人の占める割合が多い地域となりました。
ウクライナの民族別人口は、
ウクライナ人73%に対してロシア人22%ですが、
前述の通り5割を越えるロシア人がいるのが
クリミヤなのです。
そして革命が起きて、ソビエト連邦が発足した後、
クリミア自治ソビエト社会主義共和国が置かれたこともありましたが、
すでにロシア人などの大量移入などによって
クリミアの中では人口的に少数派になっていた
クリミア・タタール人には十分な自治は与えられず、
第二次世界大戦中のクリミア・タタール人の中央アジア追放、
自治共和国の廃止に終わったのでした。
自治共和国の廃止によりクリミアは
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の
クリミア州となりましたが、
1954年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国へと移管されました。
しかし、40年後のソ連崩壊により、
クリミアのロシア人たちは
再びロシアへの帰属を求めるようになったのです。
ソ連時代は、ロシアもウクライナも、
どちらにしても社会主義体制のソ連には変わりはないのですが
91年にウクライナがソ連から独立すると、
ロシア人が多いクリミヤでは、
「クリミヤをロシアへ戻せ」と主張し始め、
92年5月5日、ウクライナ共和国クリミア州議会は
ウクライナからの独立を決議、
クリミア共和国を宣言しました。
ウクライナ議会は5月15日に独立の無効を決議しましたが、
黒海艦隊の基地として戦略的に重要な
クリミアへの関心を持つロシアは
独立の動きを支持し、5月21日に
クリミアのウクライナ移管を定めた
1954年の決定は違法とする議会決議を行いました。
しかし、ロシアで独立を宣言していたチェチェン共和国に対し、
1994年にロシアが武力鎮圧を開始すると、
一方で自国からのチェチェンの独立を禁圧しながら
他方でウクライナからのクリミアの独立を支持するのは
ダブルスタンダードであるとの国際的批判が高まり、
ロシアはクリミア独立運動への支援を取りやめました。
その結果、クリミア内での独立運動も後ろ盾を失い
急速に沈静化、
ウクライナ側でもロシアに敵対的な
民族主義政党の活動が和らいだために、
クリミア議会もウクライナ共和国内の
自治共和国であることを認めるようになり、
1998年にクリミア自治共和国憲法が制定されました。
黒海艦隊といえば、旧ソ連海軍でも、最重要艦隊ですが
ソ連の解体によって
黒海艦隊はウクライナ海軍とロシア海軍で
分割されました。
その具体的な条件についてはなかなかまとまらず、
交渉が続いていた結果、
クリミア半島の海軍基地は
ロシアが20年間使用できることになり、
基地使用料や艦隊分割にあたり
ウクライナから艦船を購入する費用は、
ロシアがウクライナへ供給した
天然ガスの債務で帳消しとなったそうです。
つまりロシアは現金を払わずに
クリミアの基地と艦隊を手にすることができたのですが、
クリミア独立にロシアが支援をちらつかせることは、
交渉を有利に進めるためのカードになりました。
さて、このように、
ロシア人とウクライナ人の対立は一旦落ち着いたのですが
クリミア自治共和国では
クリミア・タタール人の故郷帰還と権利回復に関する
問題が残されています。
ペレストロイカとソ連崩壊によってクリミアへの帰還を許された
帝政ロシアに征服される前に
クリミアに住んでいたのにその後ソ連によって追放された
クリミア・タタール人が
徐々にクリミア自治共和国に戻ってきていて、
1990年代には全人口の1割から2割に達しました。
もともと彼らは、帝政ロシアに征服されると
トルコへと亡命をした人も少なくないのですが
トルコは第二次大戦[ソ連では大祖国戦争]で
ドイツと協力的であったことから
スターリンによって「ナチスと協力的である」
と言われ、中央アジアのウズベクへと
追放されたのでした。
が、これまた旧ソ連崩壊でウズベクがウズベキスタンになって
独立をすると、民族主義的政府の下で
クリミア・タタール人が差別を受けたり、
またウズベキスタン自体の政情が不安定である
といった理由で帰還を希望している人が
増えているのです。
以上のような、民族問題が複雑に絡まった
地域でもあるのですが
前述した通り、自国のチェチェン独立は弾圧をし
他国の独立支援という
ダブルスタンダードに対する非難は
今後も続きそうです。
が、それはロシアだけの問題ではなく
コソボについても
自治州に過ぎなかったコソボを
セルビアという主権国家から独立させた欧米が
同じく、ロシア入りを国民が望んでいる
南オセチア、アブハジア両地域は認めないというのも
ダブルスタンダードではないかな、とも
思うのです。
事態はひとまず沈静化しそうですが
そんな時だからこそ
何が正しいのか
もしくはどのような考えが
より多くの人が納得する考えであるのかというのを
考えなくてはならないのかもしれません。
そんなことを考える格好のテキストが
今回のロシアを巡る一連の動きだと思います。
ちなみに、この国の存在も
当ブログで紹介をしておりますが
吉田一郎さんの著作「国マニア・世界の珍国、奇妙な地域へ!」
(交通新聞社 刊)で知りました。
よろしければ一読をおすすめします。
あと、吉田さんが運営されているサイト
「世界飛び地研究会」も
濃い情報が満載で
目からうろこがボロボロと落ちること
請け合いであります。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/index.html
ダライ・ラマ14世の、チベットに対する提案は以下の通り。
(1987年、アメリカ議会の人権問題小委員会での「チベットに関する5項目の和平案」)
・チベット全土を平和地域とする
・チベット民族の存続を脅かす中国の人口移動政策を放棄する
・チベット民族の基本的人権および民主主義に基づく自由を尊重する
・チベットの自然環境を保護し、回復させる。チベットでの核兵器の製造、核廃棄物の投棄をしない
・チベットの将来の地位について、また、チベット人と中国人との関係について、真剣な交渉を開始する
そして、チベット人による本当の自治権が得られれば独立は求めないと譲歩しました。(1988年、「ストラスブール」提案)
国際情勢は複雑で、1時間という短い放送時間の中で、
あれもこれもと思うとどうしても時間が足らなくなって
どう精査すれば、より多くの情報が伝わるかということを
日々考えている「イトー×ani」がお届けする
FURANO History Factory (F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
コールサインJOZZ1AS-FM 周波数77.1MHz
北海道富良野市とその周辺で聴くことが出来る
コミュニティーFM局「ラジオふらの」の
毎週月曜日午後五時からオンエアー中
番組へリクエスト・メッセージは
〒076-0026 富良野市朝日町5-17 レストランふらの広場内ラジオふらの
E-mail radio@furano.ne.jp FAX 0167-22-2787
リクエストなどは
当ブログのコメント欄でも
受け付けています。
残念ながらいろいろとイマイチだったので
少しヘコみながら車を走らせました。
そしたら、真っ正面に見えたキレイな月に
目を奪われました。
思わず見とれてしまうほどの。
冷たいような明るいような
そんな美しくもフシギな月の光を見ているうちに
軽くヘコんだことなど
とんでしまいました。
自然には人を癒す偉大な力があります。
天保暦(いわゆる旧暦)8月15日の月が
「中秋の名月」として知られておりまして、
お月見をするのがならわしとなっています。
今年は9月14日が十五夜で中秋の名月なのですが
月齢が15であるのは
実は今朝(15日)だということです。
中秋の名月は満月とは限らず、
今年の場合は満月1日前となったのです。
ですから、
昨日は、左側がほんのわずかに欠けているものの、
美しい月を眺めて、癒されたというわけです。
ですから、本日は、さらに美しい
満月にお目にかかることが出来るのです。
一息ついて
空を見上げてみませんか。
9月15日オンエアー 第179回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
放送を終えました。
先日の時事通信の記事です。
「【モスクワ13日時事】ロシア外務省は13日、グルジア西部のポチ、セナキなどにとどまっていたロシア軍部隊がグルジア領から撤退したとの声明を発表した。AFP通信によると、グルジア内務省もこれに先立ち、ロシア部隊がポチなどの5カ所の陣地を閉鎖し、部隊の車列がアブハジア自治共和国に向かっていることを確認していた。
ポチなどからの撤退は、メドベージェフ・ロシア大統領が欧州連合(EU)議長国フランスのサルコジ大統領らとの8日の会談で合意していた。停戦合意後もロシア軍部隊がグルジア西部に駐留を続けていたことに国際社会から強い非難が出ていたが、撤退で一定の緊張緩和が進みそうだ。」
こちらは、高村外相の談話です。[外務省のHPより]
グルジア・南オセチア情勢について
平成20年9月9日
1.8日、サルコジ仏大統領がロシアを訪問し、メドヴェージェフ露大統領他と会談を行い、武力衝突以前のラインまでのロシア軍の撤退、少なくとも200人のEUからの監視員を含む国際監視メカニズムの構築、本年10月15日のジュネーヴにおける南オセチア及びアブハジアの安全と安定の確保等に関する国際的な議論の開始などで合意した。
2.我が国は、国際法にのっとった領土保全の原則に基づく平和的解決を一貫して支持しており、今次訪問の成果は、グルジアにおける紛争の平和的解決に向けた前向きな進展と評価している。
3.我が国は、紛争開始直後よりサルコジ仏大統領のイニシアティブによるEUの和平仲介努力を一貫して支持している。今回の合意が現場において着実に実施されることが重要であり、引き続き情勢を注視していく所存である。
4.また、10月15日に開始される予定の南オセチア及びアブハジアの安全と安定の確保等に関する国際的議論を行うことで合意されたが、この国際的議論を通じ、南オセチア及びアブハジアをめぐる諸問題が国際社会の受け入れられる形で解決されることを期待する。
といったことで、
ある程度の方向性が
見えてきておりますが、
そもそもこの問題というのは、
旧ソ連から分離したロシア以外の国々の中に
自治を要求している地域があり
その中で親ロシアをかかげていたりすることが
原因としてあります。
そして、前述のサルコジ大統領のもと
政治を行っているフランス外相が
懸念を表明している地域としてあげたのが
アブハジア・南オセチア・ナゴルノカラバフ・ドニエストルとともに
クリミアでした。
アブハジア・南オセチア・ドニエストルについては
当番組でもお話をしましたが
「クリミア自治共和国」については
まだお話しておりませんでした。
さて、クリミア自治共和国は
ウクライナの中にあります。
ウクライナは、旧ソ連の中で
ヨーロッパ寄りにある国の一つで
「欧州への統合」を掲げつつも、
欧米とロシアの間の均衡を模索する路線をとっています。
エネルギーの大部分をロシアからの輸入に依存しているので
経済的にロシアとの深い繋がりが続いている一方で、
EUへの加盟を目指しています。
首相も親欧米派のティモシェンコ氏です。
欧米諸国も経済改革、非核化、原発安全性向上等の
対ウクライナ支援を実施しています。
チェルノブイリの原発事故も
現在ウクライナの国域ですか。
核兵器について、旧ソ連邦から残された核兵器の移送・解体を
西側諸国が支援をしていまして、
1996年6月には全ての核弾頭の移送・解体が終了しました。
そして、ウクライナは1995年11月には
欧州評議会(CE)に加盟し、
1998年に「EU・ウクライナ・パートナーシップ憲章」に署名。
1997年7月NATO・ウクライナ憲章を締結して、
2002年5月にはNATOへの加盟意志を表明しました。
だから、欧米と距離を置く立場を取り
旧ソ連の国に対しては、変わらぬ主導権を握りたいロシアとしては、
グルジアのように旧ソ連の国でありながら
欧米へと立場をかえていく国に対して、
今回のアブハジア・南オセチアのような
行動を取りがちなのです。
それで、グルジアの中にあるのが
アブハジア・南オセチアであるなら
ウクライナの中にあるのが
クリミア自治共和国なのです。
クリミア自治共和国は、
東ヨーロッパのクリミア半島に位置する
ウクライナの自治共和国です。
首都はシンフェロポリで、
人口は約255万人、面積は26,140平方キロメートル。
ウクライナの国内でも特にロシア人及び
ロシア語を母語とするウクライナ人
[ウクライナ人の母語は基本ウクライナ語です]が
住民の多数を占める地域で、
ロシア人は現在では全人口のおよそ5割強を占めます。
このためソビエト連邦解体直後に独立が図られ、
独立問題が終息した後も自治共和国になっている地域です。
クリミア半島は、黒海に突き出す形の半島です。
第二次大戦中に「ヤルタ会談」が開かれた「ヤルタ」があり
帝政ロシアでは貴族、ソ連では幹部、
つまり歴代ロシアエライ人たちの保養地として有名な、
温暖気候の場所です。
クリミアの地には、もともとイスラム教徒の国家
クリミア・ハン国がありましたが、
ロシア帝国はハン国を18世紀末に併合して以来、
国の政策としてロシア人とウクライナ人、キリスト教徒の
クリミア移住を進めてきました。
この政策の結果、クリミアはロシア帝国の末期には
すでにウクライナ周辺の中でも
特にロシア人の占める割合が多い地域となりました。
ウクライナの民族別人口は、
ウクライナ人73%に対してロシア人22%ですが、
前述の通り5割を越えるロシア人がいるのが
クリミヤなのです。
そして革命が起きて、ソビエト連邦が発足した後、
クリミア自治ソビエト社会主義共和国が置かれたこともありましたが、
すでにロシア人などの大量移入などによって
クリミアの中では人口的に少数派になっていた
クリミア・タタール人には十分な自治は与えられず、
第二次世界大戦中のクリミア・タタール人の中央アジア追放、
自治共和国の廃止に終わったのでした。
自治共和国の廃止によりクリミアは
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の
クリミア州となりましたが、
1954年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国へと移管されました。
しかし、40年後のソ連崩壊により、
クリミアのロシア人たちは
再びロシアへの帰属を求めるようになったのです。
ソ連時代は、ロシアもウクライナも、
どちらにしても社会主義体制のソ連には変わりはないのですが
91年にウクライナがソ連から独立すると、
ロシア人が多いクリミヤでは、
「クリミヤをロシアへ戻せ」と主張し始め、
92年5月5日、ウクライナ共和国クリミア州議会は
ウクライナからの独立を決議、
クリミア共和国を宣言しました。
ウクライナ議会は5月15日に独立の無効を決議しましたが、
黒海艦隊の基地として戦略的に重要な
クリミアへの関心を持つロシアは
独立の動きを支持し、5月21日に
クリミアのウクライナ移管を定めた
1954年の決定は違法とする議会決議を行いました。
しかし、ロシアで独立を宣言していたチェチェン共和国に対し、
1994年にロシアが武力鎮圧を開始すると、
一方で自国からのチェチェンの独立を禁圧しながら
他方でウクライナからのクリミアの独立を支持するのは
ダブルスタンダードであるとの国際的批判が高まり、
ロシアはクリミア独立運動への支援を取りやめました。
その結果、クリミア内での独立運動も後ろ盾を失い
急速に沈静化、
ウクライナ側でもロシアに敵対的な
民族主義政党の活動が和らいだために、
クリミア議会もウクライナ共和国内の
自治共和国であることを認めるようになり、
1998年にクリミア自治共和国憲法が制定されました。
黒海艦隊といえば、旧ソ連海軍でも、最重要艦隊ですが
ソ連の解体によって
黒海艦隊はウクライナ海軍とロシア海軍で
分割されました。
その具体的な条件についてはなかなかまとまらず、
交渉が続いていた結果、
クリミア半島の海軍基地は
ロシアが20年間使用できることになり、
基地使用料や艦隊分割にあたり
ウクライナから艦船を購入する費用は、
ロシアがウクライナへ供給した
天然ガスの債務で帳消しとなったそうです。
つまりロシアは現金を払わずに
クリミアの基地と艦隊を手にすることができたのですが、
クリミア独立にロシアが支援をちらつかせることは、
交渉を有利に進めるためのカードになりました。
さて、このように、
ロシア人とウクライナ人の対立は一旦落ち着いたのですが
クリミア自治共和国では
クリミア・タタール人の故郷帰還と権利回復に関する
問題が残されています。
ペレストロイカとソ連崩壊によってクリミアへの帰還を許された
帝政ロシアに征服される前に
クリミアに住んでいたのにその後ソ連によって追放された
クリミア・タタール人が
徐々にクリミア自治共和国に戻ってきていて、
1990年代には全人口の1割から2割に達しました。
もともと彼らは、帝政ロシアに征服されると
トルコへと亡命をした人も少なくないのですが
トルコは第二次大戦[ソ連では大祖国戦争]で
ドイツと協力的であったことから
スターリンによって「ナチスと協力的である」
と言われ、中央アジアのウズベクへと
追放されたのでした。
が、これまた旧ソ連崩壊でウズベクがウズベキスタンになって
独立をすると、民族主義的政府の下で
クリミア・タタール人が差別を受けたり、
またウズベキスタン自体の政情が不安定である
といった理由で帰還を希望している人が
増えているのです。
以上のような、民族問題が複雑に絡まった
地域でもあるのですが
前述した通り、自国のチェチェン独立は弾圧をし
他国の独立支援という
ダブルスタンダードに対する非難は
今後も続きそうです。
が、それはロシアだけの問題ではなく
コソボについても
自治州に過ぎなかったコソボを
セルビアという主権国家から独立させた欧米が
同じく、ロシア入りを国民が望んでいる
南オセチア、アブハジア両地域は認めないというのも
ダブルスタンダードではないかな、とも
思うのです。
事態はひとまず沈静化しそうですが
そんな時だからこそ
何が正しいのか
もしくはどのような考えが
より多くの人が納得する考えであるのかというのを
考えなくてはならないのかもしれません。
そんなことを考える格好のテキストが
今回のロシアを巡る一連の動きだと思います。
ちなみに、この国の存在も
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吉田一郎さんの著作「国マニア・世界の珍国、奇妙な地域へ!」
(交通新聞社 刊)で知りました。
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ダライ・ラマ14世の、チベットに対する提案は以下の通り。
(1987年、アメリカ議会の人権問題小委員会での「チベットに関する5項目の和平案」)
・チベット全土を平和地域とする
・チベット民族の存続を脅かす中国の人口移動政策を放棄する
・チベット民族の基本的人権および民主主義に基づく自由を尊重する
・チベットの自然環境を保護し、回復させる。チベットでの核兵器の製造、核廃棄物の投棄をしない
・チベットの将来の地位について、また、チベット人と中国人との関係について、真剣な交渉を開始する
そして、チベット人による本当の自治権が得られれば独立は求めないと譲歩しました。(1988年、「ストラスブール」提案)
国際情勢は複雑で、1時間という短い放送時間の中で、
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リクエストなどは
当ブログのコメント欄でも
受け付けています。
sirube
突然のコメント失礼致します。
勝手ながら私どものサイトからこの記事へリンクをさせていただきました。
http://sirube-note.com/russian/
もしよろしければ、こちらのページより相互リンク登録もしていただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/russian/link/register/
現在のページからのリンクは一定期間の予定ですが、よろしくお願い致します。
(自動書込のため、不適切なコメントとなっていましたら申し訳ございません)
token:5fk1cVGu
勝手ながら私どものサイトからこの記事へリンクをさせていただきました。
http://sirube-note.com/russian/
もしよろしければ、こちらのページより相互リンク登録もしていただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/russian/link/register/
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(自動書込のため、不適切なコメントとなっていましたら申し訳ございません)
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