幕末を複雑にしているもの

「花神」や「竜馬が行く」の
例を出すまでもなく

視聴率的に苦戦をするのが
幕末を取り上げた大河ドラマなのです。

「獅子の時代」で、幕末の面白さに目覚めた
僕としては不本意ではあるのですが…

ちなみに、僕が予備校生だったころ、
当時そこの予備校の講師であった歴史学者の倉本一宏氏に
「薩摩の下級藩士であった岡本信人が、政府高官になり
偉そうにするのに違和感がある」旨の話をしたところ
「維新というのはそういう時代なのかもしれませんよ」と言われて
目からウロコを落としたこともありました。

倉本氏に出逢ったお陰で、歴史に対する興味がさらに深くなり
ひいては、未だにこうやって、
歴史に関わるおしゃべりをする機会持ち続けているので
氏との出会いに対して、感謝をする事しきりなのですが。


閑話休題

幕末のドラマが難解になる
その一因としては、やはり
複雑に絡み合った政治的思想間の
権力闘争があるのです。


2月4日オンエアー 第148回放送分
「FURANO History Factory
(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」です。


島津斉彬の異母弟といえば
島津久光です。

現在テレビを見ている人にとったら
忠教(ただゆき)といったほうが通るでしょう。

文化14年10月24日(1817年12月2日)に生まれ
幼名は晋之進、その後又次郎と改名し、
文政11年(1828年に)元服して忠教と名乗り
文久元年(1861年)に、久光と改名します。

その間、重富島津家の婿養子となったり
斉興の後継をめぐり、兄斉彬との権力闘争があったり
斉彬の死と、彼の後継に、遺言により忠教の実子茂久(後の忠義)がつき
藩主の実父として忠教の藩内における政治的影響力が増えたりと
様々な動きがありましたが、

久光と、斉彬の個人的な関係はそれほどこじれていなかったようです。

ま、そんなシーンも「篤姫」に出てきましたが。

また、蘭癖斉彬に対する当てつけのように
徹底して国学の教育を受け、しかも兄同様好学家で
秀才肌であった久光は、どんどん吸収をしていった
なんて描写は「風雲児たち」の中にありました。

さて、斉彬の死の時期と、13代将軍家定の死の時期は
ほぼ同時期だというのは、先週当ブログで描きましたが

斉彬の最大の政敵、井伊直弼が大老に就任したのも
この時期でした。

井伊は強権を発動して、日米修好通商条約を締結し、
将軍継嗣問題で井伊の反対派にまわった一橋派を処罰します。
これが、安政の大獄ですが、このことに反発した
水戸藩・薩摩藩の浪士が井伊の登城途中を襲撃し
井伊を殺してしまう桜田門外の変(万延元年3月2日=1860年3月29日)
によって、幕政が迷走をするのですが

この時期に幕政改革の為に、
勅使大原重徳とともに上京をしたのが
久光でした。

結果的に安政の大獄で追放された
斉彬の同士とも言うべき旧一橋派の
松平慶永や、一橋慶喜らが復権し
薩摩や朝廷の幕府に対する影響力も示すことが出来た
ということでは上出来だったのですが

上京前には、内部粛正である「寺田屋事件」を
薩摩へ帰る途中では「生麦事件」を興しています。

生麦事件の報復で起きたのが薩英戦争で
薩英戦争で薩摩は善戦をするのですが
攘夷の不可能を悟ります。

その後、勤王公家を焚きつけていて、
御所の中で一大勢力となっている長州藩と
勤王公家を切り離すために
八・一八政変を起こします。

この時の主力となったのが
京都守護職松平容保配下の会津藩と
薩摩藩でした。

その後、報復のために上洛した長州藩を
こてんぱんにやっつけた
蛤御門の変[禁門の変]の主力も
薩摩と会津。

この仕打ちに怒った品川弥次郎らが
「薩賊會奸」と書いた下駄に乗り
その文字を踏んづけたのは有名なエピソードです。

が、この後、長州征伐からその後の
幕府の戦後処理のまずさが薩摩を倒幕へ走らせ、

坂本竜馬の仲裁もあり
同じく、藩論を倒幕へと替えた仇敵長州と手を組みました。

(薩摩にしてみたら一貫した理由がありましたが
同士を討たれた長州にしてみたら
まさに断腸の思いでしょうけど)

そして、次にターゲットにしたのが、幕府と、
幕府を最後まで守り抜くという家訓を持つ
会津でした。

と、いうことで、篤姫が大奥に残る幕府に迫り

八・一八政変から蛤御門まで
共同戦線をとった会津と戦ったというわけなのです。


ここら辺の変わり身というか、
「あれ?なんで敵だったのに一緒に戦ってるの?」的な
複雑怪奇な関係が、幕末をヤヤコシクしているのです。


そんな時流に翻弄される悲劇が

新選組の悲劇でもあり
白虎隊をはじめとした会津藩や
奥羽越列藩同盟の悲劇でもあるのですが。

そして、この悲劇に翻弄される中心が篤姫なのです。

江戸城無血開城の下りで
どのようなドラマに描かれるかが

実は、今から楽しみなのです。

[小松帯刀が江戸城に現れたらどうしよう…とかですね、
NHKならやりそうではないですか?]


あと、同じような感じで翻弄されたのが

八戸藩の南部信順(なんぶ のぶゆき)です。
文化11年1月11日(1814年3月2日)に生まれた彼は、
島津重豪の息子ですが、八戸藩に養子として迎えられて
八戸藩9代目藩主となります。

因みに、島津斉彬は文化6年(1809年)生まれですから
斉彬にとって信順は、祖父の兄弟なのですが年下という
なかなか不思議な関係の二人です。

さすが重豪。

ただ、彼が30歳の時に戊辰戦争が勃発をし
八戸南部藩の本家筋にあたる盛岡藩が、奥羽越列藩同盟の
中核的存在であったということもあり

風当たりの強い立場になってしまいます。

信順は、列藩同盟には家老を立ち会わせ、
その一方で、仙台藩の使者を斬ったことなどから
東北官軍勢力の中心となった久保田 [秋田]藩と連携をとるなど

両面作戦を展開した結果として、
戦争に参加せずに、八戸藩の存続を成功させます。

あと、島津斉彬と、篤姫が
現在の日蓮正宗大石寺に帰依したのは、

彼の薦めに寄るところだそうです。

こんなエピソードとかもふれられたら
楽しいのですどね。

今後を楽しみにしましょう。

さて、篤姫関係で伏線になりそうな話も
ひとまずは、今回で終了ということで

次は、家茂が将軍となって
大奥とか和宮さかが出てきたあたりで

また篤姫関連の特集を
番組内でするとしますか。

よろしければまた、おつきあいのほどを。



「イトー×ani」がお届けする 
FURANO History Factory (F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
コールサインJOZZ1AS-FM  周波数77.1MHz
北海道富良野市とその周辺で聴くことが出来る
コミュニティーFM局「ラジオふらの」の
毎週月曜日午後四時からオンエアー


番組へリクエスト・メッセージは
〒076−0026 富良野市朝日町2−17
 レストランふらの広場内ラジオふらの
E-mail radio@furano.ne.jp 
FAX 0167-22-2787

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