五百万両の借金を…

昨日の篤姫ですが、
「タイ、ウマか〜」のところで
思わず吹き出してしまいました。


と、いうのも、夏のお祭りで買った「幕末ヤ撃団」さんの本
「薩英戦争」の中で
「スイカうまか〜」と言って、スイカ売りのフリをして
スイカを食べながらアピールして、イギリス船に近づいていったあと
イギリス船に乗船したのちに、振る舞われたシャンパンを飲んだところ
「シャンパンうまか〜」と言って
すっかり酔っぱらってしまうという
面白いクダリがありまして、

それを見て思わず吹き出してしまって以来、
僕と、畏友GMクンの間では、「うまか〜」と言えば
薩摩の決めぜりふ、みたいになっていたところでの
「タイ、ウマカ〜」ですからね。

やりますね「篤姫」


1月21日オンエアー 第146回放送分
「FURANO History Factory
(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」です。


前回は、関ヶ原の合戦によって負けてしまった薩摩藩と
勝者である徳川幕府との関係によって

参勤交代によって構造的に借金に追い込まれてしまう薩摩藩ですが
(ただし言い出したのは島津家久なのですが…)

もともと66万両の借入金があったのに加え
先週お話をした宝暦治水工事などにより40万両の借金を増やし

最終的に100両をこえる借金を背負うことになります。


そして、その様な中、藩主になったのが第8代藩主・島津重豪です。

彼は閉鎖的であった今までの藩政を改革し、
1773年(安永2年)に、藩校造士館と演武館を設立、
その後も医学院や明時館と次々に学校を設立します。
また、『成形図説・百巻』(農業書)など各種図書の編纂事業も行いました。
その他にも、江戸幕府との結びつきを強めるために、
三女の茂姫を第11代将軍・徳川家斉に嫁がせるなど
様々な手法を尽くして、薩摩の政治的影響力の向上に
貢献したのが、重豪でした。

ちなみに外様大名から将軍正室を輩出したのは薩摩藩だけです。

ただし、彼はオランダ商館に自ら出向いたり
オランダ船に乗るなど、蘭癖とあだ名が付けられるほど
蘭学に興味をしめしたのですが、
そのためか、様々な面で金銭を浪費し、
彼の代で、借金は500万両にまで
ふくらむことになります。

また、彼は、89歳でなくなるまで十三男十一女を設け
なかでも、十一男 黒田長溥をもうけたときは
重豪69歳の時(1811年)
十三男、南部信順をもうけた時は72ですから、(1814年)
こちらもスゴいですね。

因みに重豪のヒ孫にあたります、斉彬は1809年の生まれです。

ひ孫よりも若い実子って、
スゴすぎます、重豪


といったような

財政面と、世継ぎの面で島津に禍根を残すことになったのか
重豪なのでした。


最初重豪は家督を長男の斉宣に譲って隠居したのですが、
実権を握り続けたことで、近思録崩れ事件が起き、
責任をとって斉宣を隠居させ、
そして、孫の島津斉興を擁立して、
自らはその後見人となってなおも政権を握ったのでした。

そんな斉興が重用したのが、調所広郷でした。
(見いだしたのは、重豪ですが)

彼はもともと茶道職として出仕し、
1798年に江戸へ出府していた調所ですが、
その後、登用されるや、財政面でその才能を見いだされます。


そして、薩摩藩が抱える財政再建の問題をたくされたわけですが
それを行政改革や、農政改革を始め、
(こんな描写は「篤姫」の中でも出てきました)
琉球を通じて清との密貿易を行ったのですが
(こちらも「篤姫」に出てきましたね)

最もスサマジイのは、商人を脅迫して借金を
無利子で250年の分割払いにしてしまったことです。

つまり2085年までに及んだ分割払いで借金返済を、
約束させられた、というものなのです。

まぁ1872年の廃藩置県までは、薩摩は借金を返済したのですが
明治政府によって債務の無効が宣言されてしまったのです。
明治政府の中心勢力が薩摩であることは言うまでもありません。

ま、これらの取り組みで
借金をなんとかしただけでなく
最終的には50万両にも及ぶ蓄えができたというのだから
この、財政再建のスサマジサを物語っているような。
(こんなシーンも「篤姫」にありました)

因みに、この約束を無理矢理取り付けたあとは
斉興も調所も、大坂の街は通らなかったそうです。


ま、そりゃそうでしょう。

そんな、斉興や調所にしてみたら
蘭癖重豪にかわいがられて
シーボルトにまであったことがあるという過去のある
重豪のひ孫、斉彬が藩主になることは、

再び、借金生活への突入を意味したということ。

また、斉彬が江戸で育ったのに対して
国元には、愛人お由羅との間に出来た子、久光がいる

ということで、

丁度「篤姫」で今話題となっている、話へと
繋がっていくのです。


このお家騒動の核となり

薩摩藩だけではにく幕末全体をリードするキーマンとなるのが
島津斉彬ですので
来週は斉彬の話を中心に
お話をします。


「イトー×ani」がお届けする 
FURANO History Factory (F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
コールサインJOZZ1AS-FM  周波数77.1MHz
北海道富良野市とその周辺で聴くことが出来る
コミュニティーFM局「ラジオふらの」の
毎週月曜日午後四時からオンエアー


番組へリクエスト・メッセージは
〒076−0026 富良野市朝日町2−17
 レストランふらの広場内ラジオふらの
E-mail radio@furano.ne.jp 
FAX 0167-22-2787

このブログのコメント欄でも
受け付けます。




本日加藤博一さんの訃報に接しました。

西鉄に入団後、太平洋からトレードで出された阪神で芽が出て

そして、野村収投手とのトレードで移籍した大洋で
スーパーカートリオの一員として
または、面白いコメントをだす野球選手として
知られていて
(阪神時代のファン感謝デーでも、その芸はファンの喝采を浴びていて
1985年の優勝が近づいたときに
「今からでも、まだ間に合うから、帰ってこい」との
声援を受けた人物です)

引退後も解説者として、「プロ野球ニュース」などで
面白いコメントを出していましたが
それは野球の実力に裏付けされたものでした。

あと、未だに高校野球の応援で耳にする
「蒲田行進曲」は彼のテーマでしたね。


因みに高校時代中堅手だったということで
背番号8番にコダワリがあって
つけたいと言っていたところ、
加藤さんの前に8をつけていた島野育夫さんに
(このかたも昨年鬼籍に入ってしまわれました…)
「背番号8はケガする番号」と言われ、でも
念願叶ってつけることになったところ
案の定ケガをしてしまったという…


ちなみに加藤さんのあとに背番号8をつけた阪神の選手は
吉竹、田尾、久慈、本西、佐々木誠、沖原、片岡と

全員がトレードで来たり、トレードで出されたりという
名前はスゴいのですが
阪神時代の活躍がいまいちピンとこない人が
多いような気がします…
(現在は、浅井捕手がつけています。)

改めて、
つつしんで加藤さんのご冥福をお祈りします。

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