今年の夏の大お祭りは、最終日の来場者としては過去最多タイの約21万人
確かにあの混雑ぶりを見ると納得です。
3日間の来場者数は約53万人で、昨夏の55万人を2万人下回りました。
とはいえ、三日とも盛況でしたし、それぞれの日にそれぞれの思い出ができたのは
このブログを見ていただければわかるとおりですが、

本日、ようやく夏の大お祭りが終了しました。

と、書くと、このブログ初見の方は、何ねぼけたことを言っておるのか、
終わったのは日曜のことではないですか。とツッこまれそうですが、

このブログを読まれている方ならばご存知のとおり、
冬の大お祭りの申し込みが、無事終了したのです。

夏の大お祭りの申し込みまでが冬の大お祭りならば、
冬のお祭りの申し込みまでが夏の大お祭りです。

今年の日程は、12月29.30.31日の三日間。
ということで、4ヵ月後なので、そこまで余裕ない日程ということで、
冬の大お祭りの申し込みはは夏のお祭り直後に申し込みがあります。
だから、何かとアタフタします。
今回も、月曜に帰ってきたのですが、水曜日に締め切りということで、
一週間近い遠征で、疲れきっている身体にムチ打って、
いつもながらの、何度も同じ内容の事を写経のように書きうつす、
振込用紙や申込用紙や短冊や封筒などとの格闘を終わらせた後、
コンビニで申し込み用紙の控えのためのコピーなどをすませまして、

火曜日の昼休みに振込みをして、仕事を終えてから郵送しよう。
いつもは最終日にギリギリ間に合わせていたのですが、
今年は少しだけ余裕があるね。と、思ったのですが



火曜日午前の仕事中に、
スズメバチに腰の辺りを刺される痛恨のミス。

というか、なんで職場にいるんだ、ススメバチ。

不意打ちだったので、刺された時のパニック感といい、
その直後から訪れた、灼熱感のある強烈な痛みは、 一瞬パニックをおこすほど
だって、普通に話しをしているときに、激痛がはしって
わけがわからなくなります。

それでも今回は、大スズメバチではなく、キイロスズメバチだったということもあり、
刺された直後にふらついて倒れたり吐き気を催すような気持ち悪さなど、
最悪な急性症状は出ないこともあり、そのまま車で病院に向かいまして、
処置をすませて、この日はお仕事なども強制終了。
その後も患部を冷やしながら、自宅で本を読みながら一日を過ごしました。

現在も腰周りが真っ赤に腫れて、痛痒感が残っていますが、
この程度の症状でどうにか治まったのは不幸中の幸いでしたし、
やはり、申込書を作成しておいてよかった~。

そして、翌日。痛痒感があるなか、
封筒の中とかに、入れ忘れはないかなど丹念に確認してから、
地元の郵便局で局員さんら封筒を手渡しした後に、
周囲を少々気にしながらも、郵便局に向かい
いつものように、2拝2拍手1拝。

お祭り自体が巨大な信仰心で出来上がっている気もしますし、
年に二回、五十万近くの人が集うというのも巡礼めいています。
と、いうことでの神頼み。

冬もそんな大お祭りに参加ができますように。
という祈りをこめて頭下げて郵便局をあとにしたのであります。

畏友p氏も畏友GMクンも、申し込みを終わらせた模様。
結果が出るのは2か月後の10月下旬です。はたしてどうなることやら。


にしても、2月の夏祭り申し込みと、8月の冬祭りの申し込みと
きっちり半年おきにルーティンのように同じ作業がまわってくるので
季節がめぐっていることを再認識しますし、

冬の大お祭りの申し込みが終わると、北海道の短い夏も終わりだなぁ、と
少しセツなくなったりして。

ということで、
発表の日までワクワクドキドキが続きます。
果たして結果はどうなることやら。
その日まで、ドキドキしながら待ちたいと思います。

ま、その前に今月下旬すら来月初旬にかけてののカープ戦
9月の武道館でのKalafinaのライブとか、
12月のKalafinaライブツアーとか、
いろいろな楽しみに元気をもらって、日々乗り切っていきます。

と、いうことで。(´・ω・)ノシ



最後に訃報です。
西鉄、国鉄、サンケイで活躍された、元プロ野球選手の豊田泰光さんが
先日おなくなりになりました。

豊田さんの現役時代は、知らないのですが、
文化放送のナイターの解説や、プロ野球ニュース
そして、週刊ベースボールのコラム「俺が許さん」などで、
その鋭い舌鋒を楽しませていただきました。

また引退するときの

「あんたの子供がけんかで相手に怪我を負わせた」という小学校からの通知が来た夜、
「何で怪我を負わせたんだ?!」と問い詰めたとき
息子は「『お前んとこの父親は役立たず。役立たず』とはやし立てられ、
カッとなってボコボコにした」と答えたのを聞いて
「もう、引退しないといかんなぁ」と決意した、という話とか、

カープファンの池田勇人首相は、豊田さんが晩年所属していた
サンケイ新聞の水野成夫社長とは、同年で親友同士でしたが、
当時両チームとも、万年Bクラスでしたが、
カープには国鉄のエース・金田正一投手に抑えられ、
四番・豊田泰光遊撃手にホームランされ負けるという
“必敗パターン”がありました。

あるとき、同じような負け方をしたカープを見て、
池田首相は、堪忍袋の緒が切れて「水野君、豊田の電話番号教えろ!」。
で、豊田宅に「ワシじゃ、首相の池田じゃ。アンタ、ようカープ戦いで
打っとるのぅ、ただ、カープの試合に打ったらいけんよ」と電話した。
「あんなビックリしたことはなかった」とは豊田さん。
と、同時に、プロ野球選手の社会に与える影響力を再認識した
といった、エピソードも好きです。

豊田さんのご遺徳を偲び、哀悼の意を表したいと思います。
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