帝京大学のラグビー部は残念でした。
さすがのトップリーグ3位の実力というか、その当たりの強さといい
ボールへの寄りといい、パス回しの巧みさといい、
力の差ははっきりとありました。

テレビのニュースや新聞では善戦と書かれていましたし、
後半だけ見れば~などの言説も見られましたが、内容的には完敗でした。

とはいえ、トップリーグの上位チームに対して、ひょっとしたらと思わせてくれるような
プレーを社会人相手に出来た学生は、ここ近年はないのではないでしょうか。

しかも、主力で活躍した選手は1.2年生も少なくない。
来年以降も期待できる展開ですし、今回の敗戦を糧にして、
更にチーム力を上げてくれば、七連覇。
そして、来年こそは、トップリーグ上位チームに対する勝利も
夢ではないかもしれない。

そう思える試合でした。


ああ、やはり赤いジャージを着て、旗降りたいなぁ。
来年は真剣に考えましょう。





さて、そんなアカいチームで2月の注目を集めているのが
我らのカープです。




やはり黒田投手や新井選手の復帰は大きいですし、
中田選手の離脱など気になるニュースがないでもないですが、
とりあえずは調子がよさそう。

それにしても、黒田投手の会見は感動的な言葉が数々出てきて
思わず涙がにじんでしまう場面もありました。
(仕事中なので、後のスポーツニュースでしか見ることが出来なかったのですが)

この感動を忘れないために、全文を残しておきたいと思います。



ヤンキースからフリーエージェント(FA)となり、8年ぶりに広島へ復帰した黒田博樹投手(40)が16日、
広島市内のホテルで入団会見を行った。
会見での一問一答は以下の通り。

Q.8年ぶりのカープ復帰。ファンはこの日を待っていました。
A.8年ぶりに広島に帰って来ましてファンの人たちの熱気というか、広島に帰って来て一段と強いなというのを一番はじめに感じました。

Q.昨日は、空港に100人が詰めかけていたが?
A.やっぱり帰って来たなと感じました。

Q.今の率直な気持ちは?
A.まずはこの報道陣の方の多さにちょっと驚いてますし、今までカープにいて、そしてドジャース、ヤンキースと経験した中で、その中でも一番多くのメディアの人に囲まれて戸惑っています。当然、緊張もしています。

Q.1カ月前はまだ実感わかないと話していたが?
A.実際、広島に来る日まで色々もやもやした気持ちもありましたし、本当に自分の決断はこれで良かったのかと考えることもたくさんあったんですけど、広島に来て色々なファンの人の声を聞いてこれで良かったかなという気持ちですね。

Q.迷いは完全に消えた?
A.現時点では、はい。あとは沖縄に行って、ユニホームを着て、そこで気持ちがしっかりするんじゃないかなと思ってます。

Q.今朝、松田オーナーのもとを訪れ挨拶したと思うが、どんな話を。
A.オーナー自身も優勝するぞという気持ちを強く持っていると思いますし、最後に挨拶が終わって帰る時もしっかり握手をして“優勝しよう”と言われました。自分自身もそれを聞いて胸が熱くなりました。

Q.カープ復帰を決めた要因、理由を改めて。
A.色々考えないといけないことはたくさんありましたけど、やっぱり最後はファンの人たち。球団の人たちの熱意もありましたけど、2006年に僕が最初にFA権を取った時にファンの人たちに自分の心を動かしてもらったんで、それで逆に今度は自分がファンの人たちの気持ちを動かせられればいいかなと。そういう気持ちが一番大きかったですね。

Q.メジャー挑戦の1年前、2006年の広島市民球場でスタンドにファンの思いが掲げられました。その光景は今も脳裏に焼きついてますか?
A.なかなか経験させてもらえることでもないですし、野球人として素晴らしいゲームだったと思います。

Q.カープ復帰の決断をしたのはいつ頃か?
A.鈴木さん(球団本部長)に電話した時なので、日本時間で(12月)26日、米国時間で25日。その気持ちを決めたと思っていても、なかなか1秒1秒自分の考え方も変わっていた。あとは電話をかけるだけしかないと思っていた。僕自身、あまり言葉にならず、自分の中でも何を言っているか分からなかったというのが正直なところです。

Q.カープは粘り強く交渉を続けていたと思うが、鈴木さんの言葉が響いた?
A.そうですね。毎年毎年オフになると声をかけていただいて、食事も一緒にさせてもらって、もう今年断ってしまうともう2度と口をきいてもらえないんじゃないかと(笑い)。そういう気持ちもありましたし、根気よくずっと声をかけ続けてくれていたので、それが一番大きかったんじゃないかなと思います。

Q.鈴木球団本部長にお聞きします。黒田投手から電話が入った時にどういう気持ちになったか。
A.一瞬、「帰ります」という言葉で、頭の中が空白となって、どこへだろう?という感じだったですね。「カープ」という言葉を聞いた時に、ええっ!!という大きな声を出して、誰にも知られないようにロッカーに帰っていったのを覚えています。可能性としてはいつも少ないと思っていながらも、彼がいつも真剣に話を聞いてくれてましたのでびっくりしました。

Q.黒田投手が入団会見で話している様子を見て改めて鈴木本部長はどんな気持ちか。
A.改めて存在感の大きさに驚いています。

Q.黒田投手に戻します。改めてメジャーでの7年間を振り返っていかがですか?
A.一言でいうと苦しかったですね。野球をやる以上は、日本であろうが、米国であろうが、マウンドに上がるのは大変なことですが、言葉も分からない中で、シーズン162試合をずっと戦い抜く中で、体力的にも含めて、挑戦した以上はそれなりの結果を残さないとという自分に勝手にプレッシャーをかけて7年間やったつもりなので、そういう意味ではあまり楽しいというよりは苦しい思いの方が多かったんじゃないかなと思っています。

Q.中でも特に印象に残っていることは?
A.あとあと考えれば、やっぱり去年のヤンキースタジアムの最終戦。それがメジャーでの最後の登板になってしまったんですけど、あの時はジーターのヤンキースタジアムでの最終戦でしたし、自分の中でも何か、今シーズンどうなるか分からない中での最終登板だったので、それが自分の中では一番印象に残っていますね。

Q.自分自身、一番成長したのは?
A.色々経験させてもらいましたし、当然、日本ではできない経験をたくさんすることができましたけど、何って言われるとちょっと難しい。技術的な部分に関しては、何とか自分の中でアジャストしながら少しずつ自分のスタイルを築いていけたと思うので、そういうアジャストする力っていうのは7年間で自分に身に付いたところじゃないかなっていうのはあります。メンタル面に関しては、やはりドジャース、ヤンキースというメジャーを代表する大きなクラブチームの中でローテーションを投げ続けてこれたっていうのは、自分の中では苦しみながらもある程度やれたっていう気持ちはありますね。

Q.メジャーでは、日本人選手初の30球団制覇に王手をかけていた。自身の記録よりカープ復帰を選んだのはなぜか?そこに悔いはないか。
A.どうですかね。当然、記録に関しては、プロとして大事かも分からないですけど、年齢含めて色々なことを考えてカープに帰るとしたら今年が最後じゃないないかと自分の中で勝手に判断していた部分もあったので、そういう色々なことを考えつつ、帰るなら今年しかないかなということだったと思います。

Q.今年しかないと決断に至ったのは?
A.それを判断するっていうのはなかなか難しいですけど、年齢的な部分もそうですし、毎年メジャーでは何とかローテーションを守り続けてやってきた中で、そこを大事にしたいなっていう部分があったので、果たしてそれが40歳の今年になってメジャーのハードなスケジュールの中で、チームの期待に応えられるかとか、そういうことも含めて色々考えましたね。

Q.改めて黒田投手にとってカープという球団はどういう存在でしょうか?
A.最初にメジャー挑戦した時から、もし日本に帰ることがあれば是非カープに帰って来たいと思ってましたし、そういうことを口にもしていました。その気持ちがブレないためにも何とかメジャーで結果を出し続けたい、と。それが一つの自分の中でもモチベーションに、今考えればなっていたと思いますし、それぐらいの気持ちにさせてくれるチームだと思いますし、ましてや今回、僕と一緒に出て行った新井がまたカープに帰って来るということで、また球団としての懐の大きさというか度量の大きさというのを改めて感じて、多少なりともそれも僕の中でカープに復帰する一つの要因だったんじゃないかなと思います。

Q.一緒に帰って来る新井選手との縁は感じているか?
A.そうですね。彼自身も僕と一緒のFAで出て行ったんで、彼自身も色々悩みながら決めた決断でしたけど…。その中で僕が出て行ったことによって彼自身も多少なりとも気持ちの部分で揺れ動いたところもあったと思うので、そういう部分では僕も多少なりとも責任を感じてますし、それでまた今シーズン一緒にプレーできるっていうのは良かったんじゃないかなと思っています。

Q.ロスでは、カープで投げる方が1球の重みを感じられるといっていたが?
A.ヤンキースに移籍してから毎年1年ずつ契約させてもらっていました。年齢的な部分を考えても先は本当に長くないと自分で思っていますし、いつ最後の1球、最後の登板になってもいいという気持ちで、純粋な気持ちで今まで野球をやってきたので、そう考えると、その1球のためにどれだけ気持ちをこめて投げられるかって考えた時に、日本でカープのユニホームを着て投げた方が、それがもし最後の1球になったとしても後悔は少ないんじゃないかなと自分自身で判断しました。

Q.今回の決断は野球人生においてどんな決断になるか。
A.う~ん…。今まで毎年毎年1年契約して色々考えたり悩んだりしながら進路を決めてきましたが、今回ほどたくさん悩んだことはなかったですし、実際、自分自身もどうしていいか分からなくなっていた部分もあったので、僕自身はこれが最後の決断だと思って決断しました。

Q.つまりカープで野球人生を終えることも視野に入れてということになるか。
A.もう40歳ですし、皆さんが期待するほどのピッチングができるかどうかも現時点ではそこまで自信もまったくありませんし、その中で、もがき苦しみながら最後はカープのユニホームで投げたいかな、と。それが一番ですね。

Q.年明けからロスで自主トレをしてきたが、現在の体の状態は?
A.う~ん…年相応よりは少し若いぐらい。練習に関しては、毎年メジャーに行く前のキャンプの練習と変わらず、体力づくりと肩づくりはいつもと同じようなペースでやってきましたけどね。

Q.あすからチームに合流するが、期待と不安、どちらが大きい?
A.不安しかないですね。

Q.8年前とはチームのメンバーもガラッと変わっている。今のカープについての印象は?
A.若い選手もたくさん主力となって戦っているチームだと思いますし、その中で僕がどういう役割でどういう立ち位置でどれだけチームに貢献できるかっていうのもまだ全然見当もつかないですけど、それはチームの中に入ってみて今後、自分の役割を作っていければいいかなと思っています。

Q.前田健太投手は黒田投手と会うのにかなり緊張すると言っていましたが、どういった言葉をかけたいですか?
A.言葉ですか?う~ん。どうですかね。彼ともそこまでたくさん話したこともないですし、当然素晴らしい投手というのは誰もが認めているところなので、今後、当然1年チームメートとして戦っていく中で僕なりに何か手助けできればいいかなと思いますし、彼に限らず、若い投手、若い選手がたくさんいるので、そういう選手たちの少しでも力になれればいいかなと思っています。

Q.8年前はともにプレーしていた緒方選手が、緒方新監督となって指揮を執っている。8年前と違う立場でシーズンを戦うことについてはどうか。
A.8年間、日本の野球から離れていたので打者に関しても全然データもない打者もたくさんいると思いますし、そういう意味ではこれからオープン戦を含めて自分の中で色々研究してやっていかないといけないかなと思っています。

Q.緒方監督は黒田投手の復帰後初登板をマツダスタジアムで、と考えているようだが、そのイメージはもうできている?
A.う~ん…どうですかね。全然イメージはわかないです。

Q.どういう投球をファンに見せたい?
A.一番は、今回こういう決断をして、ファンの人たちも多少なりとも喜んでもらえたらうれしいなと思いますし、そういう人たちがカープファンで良かったと少しでも思ってもらえたら自分の中ですごくうれしいことだと思います。

Q.節目の記録まであと18勝に迫っている。200勝への思いは?
A.現時点では、正直な気持ちは、そこにこだわりはないですし、その場になってみないと全然分からないこと。現時点ではそこまで意識はしていないです。

Q.現時点ではということは、今後気持ちの変化があるかもしれない?
A.僕自身もその時にどういう気持ちになるか全然分からないですし、もしかすると199勝で引退するかも分からないですし…現時点ではそういう気持ちですね。

Q.カープは1991年を最後に優勝から遠ざかっている。今季に懸ける意気込みは?
A.この前、自主トレの時も言わせてもらいましたけど、そんなに僕の野球人生はもう長くないと思うので、毎試合が最後だと思って、その1球が最後だと思って、その気持ちはメジャーにいた時から変わらず、そういう気持ちでマウンドに上がっていきたいなと思っています。

Q.復帰を喜んでいる、そしてマウンドでの勇姿を待ち望んでいるカープファンへ改めてメッセージを。
A.8年ぶりに広島に帰って来て、どこまでできるか本当に現時点では自分でも分からないですけど、マウンドに上がる気持ちっていうのは何歳になっても変わらないと思いますし、勝ちたいって気持ちも変わらないと思うので、そういう気持ちを常にマウンドで出していければいいかなと思いますし、それを数多くたくさんの人に見てもらえればいいかなと思っています。

Q.プロのステータスとして年俸もある。メジャーに残っての高額オファーもある中で今回の復帰について気持ちを。
A.そうですね。なかなか難しい質問です。でも、米国でたくさんの経験をした中で応援をしてもらうことが当たり前ではないとすごく自分で米国に行って感じましたし、また野球界の広さというか、世界の広さというか、そういうものも経験した中で、やっぱり広島という…小さい街ですけど、僕のことを待ってくれる人がいるというのをすごく感じてましたし、当然、金額的な部分を考えると、なかなか決断するのに難しい部分もありましたけど、それ以上にマウンドに上がる時の気持ちを考えた時に、それも数少ないマウンドに上がる回数になるかも分からない、その1回1回のことを考えると、やっぱり広島でマウンドに上がった方が自分の中では充実感と、あとはメジャーで投げていた時以上の何か違ったものが出せるんじゃないかなという気持ちでした。野球人生が終わった時に良かったなと思えれば、それが一番いいと思いますし、勝負事なので、どこでどうなるか分からないですけど、帰って来て良かったと思えるような野球人生にしたいなと思っています。

Q.24年間優勝がない中、黒田投手の復帰で今年こそ優勝してくれると期待を背負っている。
A.ええ…へへ。結構プレッシャーなんですけど、プレッシャーを受けながら、そのプレッシャーをはねのけるために色々なことにチャレンジして野球をやってきたので。特にニューヨークとか、そういう大きなところでやって来た中で、色々なプレッシャーを感じてやって来たので、それをはねのけられる自信まではないですけど、そういう気持ちで今はいます。

Q.対戦したい打者は?久々のマウンドとNPB球へのアジャストについては?
A.打者に関しては、当然僕のいた時にいた打者もたくさん残られてますし、そういう人たちも僕と7年間対戦がないわけなので、全くイメージの違ったピッチャーになっていると思うので…。その中でまた色々な対戦ができればいいかなと思います。若い選手に関しては、いい打者がたくさん出てきていると思うので、そういう打者とも、自分の米国で7年間やってきたことを打者に…そういう投球をしていきたいと思っています。マウンドに関しては、実際マウンドに上がらないと分からないこともたくさんあると思いますし、当然球場によってもマウンドの傾斜、硬さっていうのも変わると思うので、それは自分の中で投げていく中でアジャストしていかないといけないかなと思っています。ボールに関しては、米国でもあれだけ広いので地域、形状によっても全然変化の仕方が違ったので、それもドームとか屋外の球場でもボールの動き方も当然変わってくると思いますし、それは自分の中である程度早い段階で把握しないといけないかなと思っています。

Q.球を受けてもらいたい捕手は?
A.それは…どうですかね。僕が勝手に言うのはどうなんですかね。別にどういう捕手でも僕は…。特に米国ではたくさん…それこそ数えきれない数の捕手と試合で組んで来たので、現時点では僕は誰とでも投げられる投手でないといけないと思っているので、こだわりはないです。

Q.ブルペンでは?
A.どうですかね。誰でも…別にこだわりはないです。倉が硬いミットで来たら、それは受けさせないです(笑い)。

Q.カープに復帰して黒田投手の次なる進化は?
A.毎年、日本に帰る、メジャーでやる関係なく、毎年自主トレの時期には色々なことにチャレンジしています。一つは球種であったり、一つは投球フォームでもあるんですけど、それはこれから実戦に入って打者と対戦しながら捨てるものは捨てて、継続するものは継続していかないといけないなと思っています。

Q.改めてカープファンはどういう存在か?
A.カープファンはすごいなって思いますね、はい。米国に行って、改めてカープファンのすごさというか、そういうのを感じましたし、さっきも言いましたが、2006年の時のあの球場の雰囲気を見て、自分自身も心を動かされた部分がありましたので、恩返しじゃないですけど、多少なりともそうやって帰って来たことによって喜んでくれる人がいるのであれば、それはそれで僕の中ですごく満足できることだと思います。

Q.日本のエースとしても期待がかかりますが、WBCなど日の丸への思いは?
A.もう40歳なんで、普通に考えてもう呼ばれることはないと思うんですけど(笑い)。…と思います(笑い)。

Q.その中で、自分の役割というのは?
A.役割というか、日本でまたプレーさせていただくことになったので、自分が米国で学んだ色々なことを、言葉だけじゃなく、対戦相手だったとしても、色々なことを投げながら伝えることはできるんじゃないかなと思っていますし、それがまた日本の野球界に少しでもプラスになるのであれば、それはそれで自分にとってはうれしいことだと思います。

Q.ご両親の墓前にはもう報告しましたか?
A.年末に、帰る前に行きましたけど、全く答えが出ず…。そのまま米国に帰りました。

Q.今、心の中でご両親とどんな会話を?
A.どうですかね…。うーん…。両親がいれば色々なアドバイスを受けることも可能だったかも分からないですけど、色々考えて、自分の親ならどう言ったかなということも考えながら色々考えたこともあったのですが、結局、答えは出なかったですね。

Q.家族は今回の決断に対して何と?
A.僕自身、毎年、ドジャースの最終年からヤンキース3年間含めて1年契約をしているので、そういう意味では、次の年のことはまったくどうなるか分からない状態で毎年過ごして来たので、今回日本に帰るってことに関しても、それも1年契約ですし、想定内だったんじゃないかなとは思いますね。

Q.家族からはどんな言葉をかけてもらった?
A.どうですかね。そんな別に大したあれではなかったと思いますけど(笑い)。




ああ、漢ですね、黒田投手。

改めてドラマチックです。

話しの全部が感動的ですが(倉捕手をイジるところも含めてw)
新井選手に対する配慮もいいですね。

「僕が出て行ったことで、彼の気持ちも揺れ動いたと思う。多少なりとも責任を感じています。
今年、また一緒にプレーできるのは良かった」 だなんて、この言説も彼ならでは。



思わず黒田投手を広島空港で迎えるファンを見ても、
「広島カープ誕生物語」で、小鶴誠をむかえるシーン
「お、小鶴じゃ、小鶴がおるぞ!」
「小鶴バンザーイ バンザーイ」
「小鶴!よう広島へ来たのう、待っとったぞ」なんてのを思い出してしまいました。

「お、黒田じゃ、黒田がおるぞ!」
「黒田バンザーイ バンザーイ」
「黒田!よう広島に帰ってきたのう、まっとったぞ」


そもそもメジャー挑戦を一年遅らせたのも
「我々は共に闘って来た 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで
君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」 という大断幕です。

こんなことが何年かに1度でも起きる
カープというチームが改めて大好きですし、

このような事柄を目の当たりにすることは、
歴史の1ページをリアルタイムで見ていることになりますし、
僕自身も野球の歴史の中にいるという感じがします。



こんなニュースとも重なって見えてしまいますし、「広島カープ誕生物語」にも通じるのが、
先日少し書きました、 『鯉昇れ、 焦土の空へ』です。

昨年、9月に広島で放送されたもので、
『シリーズ被爆70年「ヒロシマ復興を支えた市民たち」』の第1回として
取り上げられたのが「広島カープ」。
史上初の市民プロ球団創設を成し遂げ、苦労のすえなんとか守り抜いて、
後に広島のシンボルに成長させた監督と市民たちの物語でした。

しかも、球界のお荷物と揶揄された弱小チームが、
昭和50年には、念願の優勝を勝ち取ったのです。

中心はカープの初代監督石本秀一さん。
広島商業で日本刀の刃渡りなどで精神力を鍛えて全国制覇をなしとげた
広島球界屈指の有名人。彼が、野球人生の集大成として
新球団カープの指揮をとる。

ところが、このチームは選手もいなければ金もない。
そこでスカウティングなども全部まかされることになるのです。

そんな状況でなかなか勝つこともままならない中、地元企業から借りていた
寮を引き払うことになり、地元旅館「御幸荘」の好意でそこを寮代わりにします。
御幸荘の人も家財を売ってまで、寮をイジしようと努力します。

そう、カープと石本さんを支えたのは、地元ファンの熱いおもいだった。
「なぜ、カープファンはこんなに熱いのだろう?」と思ったことがあります。
それは、こうやって地元がチームを支えてきた歴史に他なりませんし、
樽募金も後援会もその流れです。

市民球団であるため、しっかりとした親会社はないので、金銭面では苦しい。
そこを補ってきたのが広島市民の熱い気持ちです。


イッセー尾形(今、気づいた。主役は「オガタ監督」じゃないですか!!)さんの演技も
木訥な人柄が良く出ている感じでしたし、富田靖子さんはデビュー当時とか
応援していた女優さんでした。

さらに、市民がカープについてあれこれ話すところは、セットでも、ロケでもなく、
舞台のようなセットで 、オムニバスのように繰り広げられる市民の描写も
最初は違和感があったのですが、 最後の271万円タル募金が集まって、
「鯉は遂に昇り始めた」のシーンでは 、あー、これがやりたかったから故の演出だったのだ、
と感動しました。

石本監督は、その後、赤嶺旋風に巻き込まれる形で退団しますが、
最期の最期でカープの初優勝を見るシーンが流れますが
そんなのでも、大号泣です!!

あああ、まだシーズン前なのに、何回カープに泣かされるのでしょう。

ということで、再放送の機会がありましたら、見ることを強くオススメします。



ところで、開幕2.3.戦目に広島遠征を考えているのですが、
チケット獲れるかな―。FC予約分でもうすでにパフォーマンスシートも外野指定も
アウトだという話しなのですが…

チケット獲れたらいいなぁ





かつて、コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」(富良野市)の
月曜午後五時からオンエアーしていた
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)の
パーソナリティーをつとめていたイトー×aniでした(´・ω・)ノシ
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