2014年9月5日、中日・阪神19回戦において、
山本昌投手、49才25日のNPB最年長勝利記録を66年ぶりに更新しました。
しかも、今年初先発で初勝利です。

おめでとうございます。パチパチパチパチパチパチパチパチ

今シーズンは、ずっと二軍だったので、シーズン中の記録達成はどうだろうか?
更に、先日も、ファイターズを北海道に根付かせた功労者の一人、
稲葉篤紀選手の引退が発表されたばかりなので、そんな意味でも心配でしたが
記録を打ち立てました。

先日、名古屋へ行ったばかりで、ドラゴンズファンのアツイ応援や
これまた熱いスポーツ番組にスポーツ新聞の見出しを見たばかりなので
現他の盛り上がりはいかばかりでしょうか、想像できます。
中スポの今日の見出しはなんだったんだろう。

日刊スポーツ紙では、49才25日 昌 最年長勝利 出場も!登板も! 先発も! 奪三振も!
という見出しでしたし、道新スポーツのダンカンさんのコラムでは、
最年長牽制に、最年長キャッチャーのサインに首を振るなどと書かれていました。
もう、それくらいたくさんの記録を打ち立てたということです。

そして、この関連記事が載るときには、必ず前に記録を持っていた
元阪急の浜崎真二氏の名前が出てきます。


浜崎さんは、1901年12月、広島県呉生まれの野球選手ですが、
戦前は、アマ選手として活躍をしていました。
広商では、広島カープ誕生物語でもおなじみ、カープの初代監督
石本秀一さんとともに甲子園に出場したものの、広商を退学したのちに
神戸商業に入学して甲子園で活躍をしました。
2校で甲子園に出場したのは、2人しかいないそうです。

その後、慶応義塾に入り、「慶応♪慶応♪陸の王者慶応~♪」でおなじみの
「若き血」ができたばかりの慶早戦でも活躍したのちに、
満鉄に入って、都市対抗で活躍をします。

その後、沢村vsベーブルースの対決で知られている、
米大リーグ選抜とのメンバーに選ばれたり
監督兼選手で出場した都市対抗野球で優勝しましたが、
直後に、野球がすきで、自分のチームを作りたかった甘粕正彦に引き抜かれて
満映にはいります。

日本が太平洋戦争で負けた後も大連に残り、トンカツ屋をやったりしますが、
引き上げ後の1947年に、プロ野球に誘われて、選手兼任監督として阪急に入団したのが
45歳のときで、日本プロ野球史上最年長入団記録になります。
しかも、この年にプロ史上最年長初勝利を記録します。

さらに1950年のプロ野球2リーグ分裂のあおりをくって、主力が軒並み引き抜かれます。
この時の中心となって動いたのが、赤嶺旋風の赤嶺昌志。
浜崎さんは「赤嶺昌志を絞首刑にしたい」といって、赤嶺は「子供が学校に行けん」
と言ったとか。
「広島カープ誕生物語」ではあれだけいい人風だったんですがね。

そんな中ですが、チームは野口二郎らのがんばりで4位にとどまりますが、
「若い投手には任せてられない」と投げたのが1950年7月のことで、
このゲームの勝ち投手となったのか、今までのプロ野球最年長勝利記録。

さらには、消化試合の時に、相手監督の湯浅禎夫と示しあわせて、
お互い監督が先発をしましたが、これが現役選手最年長出場記録となります。
時の浜崎さんが、48歳10ヶ月、対戦相手の湯浅さんが48歳1ヶ月。
これが、今までの最年長出場記録の1位2位でした。
〔ちなみに湯浅さんも、大連実業団や、大連商業コーチとして、満州で活躍
内地では大阪毎日新聞の選手として活躍しましたが、パ・リーグ結成と、
毎日のプロ野球加盟に際しては、毎日新聞からの出向で総監督兼投手になりますが、
一軍ゲームに出場したのは、この浜崎さんと投げ合った一戦だけだそうです。〕

さらに6年間で1度も優勝できない責任をとった後に、
永田雅一総裁の肝いりで誕生した高橋ユニオンズの監督に就任しましたが、
ふがいない記録を作るとその後、解説や毎日、巨人のコーチをつとめ
最後は国鉄の監督をつとめ、ここでも苦労しながら、こののちは
解説としてプロ野球界にかかわっていきます。

国鉄時代は、「国鉄スワローズ1950-1964 400勝投手と愛すべき万年Bクラス 球団」
堤哲さん著 交通新聞社新書 を面白く読みました。

浜崎さんがとうじ天皇といわれていた絶対的エース金田正一さんに
「カネ、投手はバッティング練習をしなくていい」と言ったら
「ワシはアンタに国鉄の状態がわかるのか。ワシが打たないと勝てないぞ。
打てなくて負けたら責任取ってくれるかと詰め寄ったら、黙って練習させてくれたな」
と語ったなんてエピソードは、いかにもカネヤンらしい話です。

それにしても、この本を思い出すときには、いつも「ベースボールマガジン新書」か
「交通新聞社新書」が迷ってしまうのですが…

さらに高橋時代は、何回か当ブログで紹介しています。
長谷川晶一さんの、「最弱球団 高橋ユニオンズ青春記」(白夜書房 刊)の中で、

「各球団から選手を提供する」と約束されたユニオンズに集まった選手に対して、
「ポンコツと呑兵衛の寄せ集め」と言ったり、

史上初の300勝投手スタルヒンに対して「スタ公」「スタ公」と呼びながらも
300勝をあげさせるために苦心をする姿が印象に残っています。

しかも広島商業の後輩筋に当たる鶴岡一人氏率いる南海からは、
若手とは言えず、扱いに苦慮していた選手が来たりするので
怒り心頭でした。
ただ、その一人がメジャーリーガーにして、カープの終身栄誉背番号15
黒田博樹投手のお父さんなのですがね。

だから、阪急 高橋〔トンボ〕 国鉄 と、監督時代は苦労ばかりしていた
印象がある人なのですが、そんな苦労に報いたひとつがこの記録なのかな
などと思います。
ちなにみに氏も1978年に野球殿堂入りしていますので、

高橋ユニオンズのオーナー高橋龍太郎氏の
野球殿堂入りを改めて期待したいですね。

そして、山本昌投手はどこまで記録を伸ばすことができるのかについても
応援したいと思います。







コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」(富良野市)の月曜午後五時からオンエアーしていた
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)の
パーソナリティーをつとめていたイトー×aniでした。(´・ω・)ノシ
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