4月を、2位タイガースに1ゲーム差で、首位を守って終えたカープです。

先発、中継ぎ、抑えときっちり自分のお仕事をする投手陣の力と、
打率こそ、そう高くないものの、菊池選手や丸選手らが的確にチャンスメークをし
エルドレッド選手ら中軸がしっかりと返す打線がいい形でかみ合っています。

よく、カープは鯉のぼりの季節まで、などと揶揄されますがそれは都市伝説で
ここ10年間は、4月の勝ち越しは、2004年と2011年の2度しかなく、
ことごとくスタートダッシュに失敗しているので、鯉のぼりの季節までは持たないという



あれ、どうしたんだろう、目から汁が……


話しを戻して、ワタクシ、今シーズン、生で見たゲームは2勝1敗(全部ベイスターズ戦ですが…)
大体カープの現在の勝率と同じです。

当ブログでも報告をさせていただきましたが、この間のyuki kajiura live vol♯11の前日に
見に行った試合(C7-1DB 勝ち投手 久里 負け投手 井納 
丸選手の専制ホームランにキラ選手の勝ち越しタイムリー、
さらにゲームを決める同林選手のグランドスラムに九里投手の好投が光る)と
4月早々に、マツダまで遠征をかけた、カープvsベイスターズのゲームです。
マツダスタジアムまで行ったのですが2戦見て、1勝1敗でした。
(勝ったゲームは、C2-1DB  勝ち投手 中田 負け投手 菊池
先発篠田が好投、キラ選手の専制ホームランと、梵選手のサヨナラホームランで延長戦を制した試合。
負けたゲームは、C6-9DB 勝ち投手 井納 負け投手バリントン
内野陣の守備の乱れで、バリントン投手に「アウト7つとらなければチェンジにならないのか」と言わしめた
アノゲームです)

まあ、勝ったゲームは当然興奮しましたし、負けたゲームにしても、
あのゲームは、後半の粘りなどで盛り上がりましたし、その後はワカコ酒巡礼で盛り上がりました。

そんな巡礼や、球場へ行く途中など、楽しいのは広島の町をウロウロすることで、
この時に行った「ジュンク堂」で購入したのが、先日復刊した、
中沢啓二さんの「広島カープ誕生物語」(垣内出版)でした。

そして、帰りの空港に向かうバスの中で一気に読んだのですが、
これが、本当に面白かったです。


原爆で孤児になり、防空壕に愛犬と住む主人公の大地進は、野球が大好きで、
同じく野球バカの友人と結成した「ラッキーズ」を率いて、呉の進駐軍の野球チームと戦い
エースで4番の進の活躍で無事勝利。
勝った報酬として手に入れた、アメリカ製の缶詰や菓子を闇市で売って生計をたてています。
そんな進と、バッテリーを組む弘は、新聞記者の父親からのニュースを伝えます。
それが「広島にプロ野球チームが誕生する」というニュースです。

強豪高校が何校もあるアマチュア野球の盛んな地で、プロ野球の興行があると満員になるような
野球王国広島での新球団誕生は、県民に大歓迎されます。

ただ、市民が同情するほどの貧乏球団ゆえに選手の獲得もままならず、
ボロボロで、風呂もないために、1つの水道に並んで体を洗う合宿所に
草ボウボウのグランドを使わざるを得ない状態です。
発足当初、選手全員のユニフォームが揃えられなかったこと、
合宿所に風呂がないので選手は一つの水道に並んで体を洗ったこと、
義捐金で危機を乗り切ったことなど、カープファンならずとも心揺さぶられます。

さらに、選手にも恵まれず、解散、身売りの危機にもさらされますが、
石本監督らの球団幹部の努力と樽募金や後援会など県民の善意でのりきります。
しかも後援会のお礼に、選手と監督が後援会に赴き、歌を歌う。
しかも、破れたユニフォーでエース長谷川選手も歌うのですから、今に置き換えると、

「前田健太投手が歌を歌います」
「野村監督、このユニフォーム破れていて恥ずかしいです」
「そのほうが、同情を誘えるんじゃ〔メガネクイー〕」
「じゃあ、僕もこのエンブリーを持って…」

といったところでしょうか。
でも、畏友p氏も言ってましたが、これってファン感謝イベントのさきがけですよね。

ただ、資金は潤沢ではなく、試合では勝てない負の連鎖は続きますし、Bクラスが定位置。
そば入りお好み焼きをつつきながら
「カープにほれこむのは因果なことよのう」と、主人公の進もボヤきます。

そんなカープに、ラッキーズのメンバーはある者は新聞記者として、ある者はラジオアナウンサーとして
あるものはグランドキーパーとして関わっていきます。
そして、進は、一貫して応援団としてかかわっていきます。

応援をする人の視点からカープを見るだなんて、ちょっと早すぎる球場ラヴァースか?? 
女の子は、進の養父の娘にして、後に進と結婚する光子しか出てきませんが。

最後はカープの初優勝と、カープが優勝するまで結婚式はしないと断言した
進と光子の結婚式でしめられます。
最初は野球嫌いだった光子もしまいには進と一緒になってカープの歌をうたったりと、
野球だけでなく2人の恋愛模様も物語に華を添えています。

ああ、いい話しでした。


が、それ以上にスゴいのは、実在のエピソードに基づかれた数々の話しです。
「広島の野球キ××イはスゴいのう」と進の言葉が納得する話しの数々。

例えば、太田垣投手の母校で洋松との公式戦が合ったとき、フェンスがわりに張られたロープを
引っ張ってホームランにする話しとか、
「入るか入るか」「わしがホームランにしたるわい」「やったー ホームランじゃ 綱を越えたぞ」

これまた洋松戦の話しですが、洋松の選手がレフトポールに直撃するホームランを放つと
「こんなもんがあるからカープが負けるんじゃ」と、ファンがそのポールを引き抜いてしまい、
しかも、そのポールを持って暴徒化したファン約3000人がグラウンドに乱入して
審判団が避難した小屋を壊そうとします。
「くそったれ! あのホームランがなかったら カープは 勝っとったんじゃ わしゃゆるさんぞ」
「ほうじゃ アンパイヤ―殺しやげたれー」
「このくそったれポールを引き抜け」「それー審判をみな殺しじゃ」「ようし やったれやったれ」


もう、これを見てから欲しくて欲しくてたまらなくなりました。

そして、実際に本を買って、このシーンを見て、改めて感動です。

だから、先日の野村監督が退場した、4/22日のスワローズ戦
二塁封殺プレーがセーフのタイミングのところ審判はアウトと見るからに誤審の時とかは、
「それー、杉永を殺しやげたれー」と思いましたし、
4/24日のこれまたスワローズ戦。ルーキー田中選手のライトポールをまくホームラン
ヤクルト小川監督が申請してビデオ判定をしましたが、もしもファールとか言われた日には、
神宮球場のライトポールを引っこ抜いて、それー審判をみなごろしじゃー ですよ。

そうそう、ハマスタでも、レフトスタンドのポール近くに座った私とp氏。
ポールを見るなり、
「こんなんがあるから、カープは負けるんじゃ」「このくそったれポールを引き抜け」
と、言うのもムベナルカナ。

他にも、シゴウしたるけえのう。うるへーバーロー
ドンガラカッカドンガラガッカ 、などと汎用性のある言葉があるのです。


閑話休題、

ただ、この荒さこそが、戦後の空気そのものです。
だから、野球を通して見た戦後史としても面白く読むことが出来ます。

さらに、戦後直後のプロ野球は、8球団から2リーグ分裂への球界再編の時期でもあります。
カープが誕生したのも、リーグ分裂によるエクスパンションによるものです。

松竹ロビンスが悪成績と、経営悪化により、大洋と合併する形で消滅する時に、
ロビンス主力の小鶴、金山が移籍します。進が、小鶴選手に手紙を書くシーンがあります。
小鶴選手がカープに来て、進は、夜中でありながらラッパを吹き鳴らしながら
「お、小鶴じゃ、小鶴がおるぞ!」
「小鶴バンザーイ バンザーイ」「小鶴!よう広島へ来たのう、待っとったぞ」
と、歓迎する明るいシーンで描かれているのですが

この小鶴誠や金山次郎がカープに移籍するのも、球団再編の煽りですし
カープ設立に尽力した「赤嶺さん」も、この一連の動きで赤嶺旋風を起こしています。
「広島カープ誕生物語」だけ読むと、いい人に見える赤嶺昌志氏も、調べるとクセモノです。



さて、成績が悪いと解散させられてしまうということとか、 球団にお金がない、
といったのを読んでいて、既視感を覚えた本が脳裏に浮かびました。

それが以前も少しだけ当ブログで書きましたが、
長谷川晶一さんの、「最弱球団 高橋ユニオンズ青春記」(白夜書房)です

ユニオンズは、プロ野球に1954年から1956年の3年間だけパリーグにあったチームです。
オーナーは日本のビール王にして、貴族院議員・参議院議員・通産大臣もつとめ、
日本サッカー協会の第3代会長をつとめる高橋龍太郎で、ユニオンズは彼個人所有のチームでした。

当時のパ・リーグは7球団で運営をしていて、公式戦では、1チーム必ず余る状況。
そこで、3割5分を切ったチームは強制解散というルールを作ったものの該当チームはなし。
さらに、セ・リーグとの差別化をはかるということもあって、1球団ふやして
8球団で運営しようと画策したのが、時のパ・リーグ総裁「永田ラッパ」の異名でしられる
大映のオーナー永田雅一でした。彼が白羽の矢を立てたのが、戦前イーグルスのオーナーだった
高橋だったというわけです。
永田は「パ・リーグを盛り上げるためなので各球団から選手提供する。 とまで言って高橋をくどくと、
高橋も折れ、ここでユニオンズが結成されます。

新球団として結成した当時のカープには、巨人の白石ら一部ですが有力選手も加入しますが、
「各球団から選手を提供する」と約束されたユニオンズに集まったのは、監督の浜崎真二をして
「ポンコツと呑兵衛の寄せ集め」と言わしめるほどのメンバーでした。

こんな、さまざまな機構の思惑に翻弄されるところが 悲惨ですし、
さらにはカープほど ファンもそこまで熱狂的でもない。でもガラは悪かったらしいです。

そんななかでフロントは苦労しますし、チームもなかなか勝てず、連敗に連敗を繰り返します。
さらに1年目が最下位でなかったということで、パ・リーグの数少ない援助は一切打ち切られ、
そんなこともあり、翌年は最下位のうえ、勝率3割5分を切ってしまい、
当時の連盟の規約である500万円の罰金を払わざるを得なくなる。
しかも、ネーミングライツで資金を援助していたトンボ鉛筆も契約を継続せずに、
ただでさえ貧乏な球団に拍車をかけます。


翌年は六大学のスター佐々木信也を獲得したりしますが、そこまで状況はよくならず
最終戦で負けると、2年連続で勝率3割5分をきってしまう。
そんななか、八百長同然の試合で、なんとか500万円払わずにすむという

ちなみに、三年間の通算成績は435試合を戦って146勝281敗8分。
勝率はわずかに.342でした。
この間、「1イニング7四球」という平成の世でもいまだに破られていない珍記録を出すは、
シーズン中に現役コーチが市会議員に出馬して当選、しかも選手も選挙活動に夢中で、
監督とのおりあいが悪くなるは、謎の外国人選手の突然帰国はあるわ、と、
戦後まもなくとはいえ、こちらも大変な状態です。

しかも、対戦相手として戦った、豊田泰光氏は
「こんなチームに勝ったって、何の自慢にもならない」という自負があったし、
本気を出して打席に立とうものなら、自軍の先輩たちからは「打つんじゃねぇ、かわいそうだろ!」と
罵倒されることもしばしばあった。本当にやりにくい相手だった。
などと語っています。

そんな当事者にとっての悲劇は、どう見ても喜劇にうつります。


ところが、ユニオンズのOBがユニオンズを語る口調は優しく、
ユニオンズの3年目に入団した六大学のスターにして、引退後はプロ野球ニュースで活躍した
佐々木信也氏は、「高橋ユニオンズとは本当に懐かしい、いい思い出の1ページですよね。」
チームのエースとして活躍し、引退後はホークスのスカウトをつとめた伊藤四郎氏は
「楽しかったね。弱かったけどいいチームだった。」
最後のルーキーで、入団後にチームが解散してしまった西沢道則氏は、「青春。そう、青春ですね。」
などと語っています。

ここらへんもなんかいいなぁと思ったのですが、

そこらへんの話を当事者に対する丁寧な聞き込みで明らかにしているのです。
ここらへんの細かく丁寧な取材は、著者長谷川晶一さんの真骨頂
「1イニング7四球」の記録を作ったピッチャーは取材後、
「改めて話すことができてよかった。聞いてくれてありがとう」とまで言わせています。


そんな選手目線の内容なので、一貫してファン目線で描く「広島カープ誕生物語」とは
好一対、別の側面で楽しむことができます。

が、あくまでも「広島カープ誕生物語」はカープを愛するファンの姿で球団は生きながらえますが、
こちらは「広島カープ」になれなかったチームの物語なのです。

ちなみに、この話は、雑誌『野球小僧』〔現「野球太郎」〕の連載がベースになっていて、
長谷川晶一さんの作品で当ブログでも紹介した「夏を赦す」(廣済堂出版)と同じです。

ちなみに「夏を赦す」は、高校3年生の時に、後輩の不祥事で甲子園の大阪府予選すら
出場出来なかった、ガンチャンこと岩本勉さんと、同学年のチームメートの、
そのときから現在の生活に至るまで、
さらには岩本さんをとりまく家族のみなさんや岩本さんをプロ入りさせた
スカウトそんなどを追いかけたドキュメントです。

長谷川さんの筆致も、綿密に取材をしながら、淡々としかし着実にテーマに迫っていく
そして、取材対象と一緒に悩んだり、共感したりして、
さらには締め切りなどの外部の悩みがありながにも、物語を動かしていって、
この取材の過程そのものもドラマチックなのです。

高校野球や野球もの、というカテゴリーを超えた、
いろいろなスポーツノンフィクションの中でも傑作なのでこちらも一読をオススメします。



ちなみにユニオンズの監督をつとめた浜崎真二氏は、現役最年長である
ドラゴンズの山本昌投手が勝ちをあげるたびに、表の一番上に名前があって
今のところ、最年長勝利投手の記録を持っていることで、しばしば名前を目にしますし

高橋ユニオンズが新聞に名前があがったのは、ユニオン図以来の新球団として
東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した時でした。
(ちなみに、この時ライブドアがネットで公募した新球団の名前のトップ3に
「仙台ジェンキンス」「仙台ギャラクシーエンジェルス」「浦和レッズ」が来たのは
今でも忘れられません。ギャラクシーエンジェルズって…GAですか、センス良すぎる)

ユニオンズも「ポンコツと呑兵衛」でしたが、ゴールデンイーグルスも、
船出の段階から、分配ドラフトでオリックスがプロテクトした選手の残りから
選手が選ばれて、その時は、岩隈選手や礒部選手の男気も垣間見られましたが、
まぁ、そんな状態でした。
田尾監督の下、開幕戦こそ岩隈投手の力投で勝利したものの、
2戦目は、0対26で公式戦初敗戦、。ここを皮切りに4連敗し、
1勝を挟んで、さらに11連敗をするという状況で勝率2割を切りました。
その後シーズン通算では2割を超えましたが、
38勝97敗1分で初年度を終えるというユニオンズよりもヒドい成績でした。

オーナーと選手会の対立、ファン不在の球団経営など、現在も依然解決をしていない、
プロ野球の大変なところが浮き彫りになった球団創設でした

ただ、仙台市民はゴールデンイーグルスを応援し、
10年かかって日本一になりました。
しかも、球団再編から東北楽天球団が設立するまで、
いろいろと暗躍をしていたあのチームを倒しての日本一になったのは、スゴいです。


プロ野球機構の動きについて、さまざまなところでいまだに納得できないことが多く
その前近代的なシステムに腹の立つことも多いですが、
改めてこんな歴史に目を向けてみるのも、ファンとして大切なことかもしれません。


ちなみに、最弱球団高橋ユニオンズ青春記は最後に
高橋龍太郎がサッカー殿堂入り第一号になりながら、
野球殿堂に入っていないことに触れて文章を締めています。


うむ、大映の永田雅一は、パ・リーグの総裁までつとめたので、まぁいいとして、
松竹の田村駒次郎も殿堂入りしてるので、なんとかならないものですかね。









コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」(富良野市)の月曜午後五時からオンエアーしていた
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)の
パーソナリティーをつとめていたイトー×aniでした。(´・ω・)ノシ
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