今朝、スポーツ新聞でこんな記事を見つけました。

引用をします。


炎のストッパー・津田さん殿堂入り、晃代夫人も涙「一番驚いているのは津田本人」
スポーツ報知 1月14日(土)8時1分配信

 野球体育博物館は13日、2012年に新たに野球殿堂入りした4氏を発表した。プレーヤー表彰では80年代の広島黄金時代を支えた「炎のストッパー」、故・津田恒実氏(享年32歳)と通算213勝の「精密機械」、北別府学氏(54)を選出した。また、特別表彰では元全日本アマチュア野球連盟会長の故・長船騏郎氏、バット素材の研究に従事した故・大本修氏(ともに享年83歳)が選ばれた。プレーヤー表彰の表彰式は、津田氏の命日でもある7月20日の球宴第1戦(京セラD)で行われる。特別表彰の2氏については未定。

 記憶に残るストッパーだった津田氏が、永遠に野球殿堂に名を刻むことになった。殿堂入り資格の最終年だった今年の選出に、妻の晃代(てるよ)さん(48)は「お知らせを受けて驚いたが、一番驚いているのは津田本人と思う。北別府さんと一緒に選ばれて感慨深いと思う」と、喜びをかみしめた。得票数は237票。当選に必要な236票をわずか1票だけ上回った。

 代名詞だった150キロ超の剛球のように、あっという間に駆け抜けた野球人生だった。81年にドラフト1位で広島に入団し、1年目に11勝6敗で新人王。そこからは苦難との闘いだった。まずは84年、世界で初めて右手中指の血行障害の手術を受けた。86年に救援に転向し、4勝22セーブでリーグ制覇に貢献。右肩痛を克服した89年にも12勝28セーブで最優秀救援投手に輝いた。座右の銘は「弱気は最大の敵」。広島入団時の監督である古葉竹識氏(75)=東京国際大監督=は「一番の長所はマウンド上でガンガン向かっていく姿勢。投手には最も大事。学生たちにもそう教えています」と、往年の「炎のストッパー」を懐かしんだ。

 その後、91年に病に倒れた。悪性の脳腫瘍だった。最後の登板となった同年4月14日の巨人戦(広島市民)を晃代さんは、自宅でテレビ観戦。「体調が悪いのは分かっていたので…。そのときはつらかった」。当時指揮を執っていた山本浩二氏(65)は「ホップする直球が、最後は沈んでいた」と声を詰まらせながら振り返った。チームは「ツネのために」と一致団結して病床の津田氏にリーグ優勝を贈ったが、闘病の末、93年7月20日に帰らぬ人となった。

 普段はひょうきんで明るく、誰からも愛される好青年。マウンドでの激しい投球スタイルとは対照的だったという。「主人は、自分なんかが、と恐縮していると思います」と晃代さん。故郷の山口・周南市に眠る最愛の夫には「よかったね、と伝えたい」と、穏やかな笑みを見せた。

 津田氏の長男・大毅さん(東京国際大時代に古葉監督の指導を受ける)「父の投げる姿はテレビやビデオでしか見たことがない。愛されていたんだな、と改めて感じた。とてもうれしいが、これが本当に自分の父なのか、こんなにすごい人だったのか、と思うと実感が湧かないですね」

 ◆津田 恒実(つだ・つねみ)1960年8月1日、山口県生まれ。南陽工高では78年に春夏連続で甲子園出場。協和発酵を経て、81年ドラフト1位で広島入団。82年には先発として11勝6敗をマークし、球団初の新人王を獲得。85年に「恒美」から改名。右手中指の血行障害などを克服してストッパーに転向。86年には4勝22セーブを挙げてチームをリーグ優勝に導き、カムバック賞を受賞。89年にも最優秀救援投手に輝いた。91年に脳腫瘍が判明し、現役引退。93年7月20日に逝去。享年32歳。通算49勝41敗90セーブ。右投右打。

 ◆野球殿堂 正式名称は野球体育博物館。1959年に開館。プロで功績を残した人が対象の競技者表彰、アマを含めて野球界に貢献した人が対象の特別表彰があり、今年で競技者表彰は80人、特別表彰は97人の計177人。競技者表彰は選手経験者が対象の「プレーヤー表彰」、指導者らも対象の「エキスパート表彰」に分かれる。プレーヤー表彰はプロ野球取材経験15年以上の記者が最大7人連記で投票、有効投票数の75%以上で選出。エキスパート表彰と特別表彰は、それぞれの選出委員の75%以上の投票数を獲得した人が選ばれる。表彰者はレリーフ(ブロンズ製胸像額)が殿堂ホールに飾られる。



北別府さん・故津田さんと二名のカープ戦士が
野球殿堂入りを果たしました。

広島関係者の選出は2008年山本浩二さん以来4年ぶりとなります。

北別府投手といえば、某ゲームでは
「きたへふ」とカワイらしい書かれようをしていましたし、

ひぐちアサさんのまんが「おおきく振りかぶって」〔講談社 刊〕のなかでも、
主人公三橋投手のコントロールのよさをしめすために
氏の精密機械ぶりが紹介されていました。

そして、炎のストッパー、津田投手です。

脳腫瘍により引退、若くして亡くなってしまいました。
実働10年で通算90セーブというと、新聞記事にもあるとおり、
記録よりも記憶に残る選手というイメージを持ちますが、
この成績は広島球団史上歴代4位で、
89年には最優秀救援に輝くなど、記録にもその名を残しています。


また、僕自身、以前から心憎からず思っていた広島に
ハマる最後のとどめをさしたコミックが
「球場ラヴァーズ」〔石田敦子 さん作 少年画報社 刊〕です。

この話は、ふとしたきっかけで〔とはいいながらも少々オモいですが〕
球場に足を運んだ、野球に興味のない女の子が、球場の人たちや
選手たちの熱気にあてられながら、どんどん野球にハマっていく話です。

最初読んだときは、カープの選手が、野球に興味のある人や、興味のない人の
人生を変えてしまう描写は、村上龍さんの短編小説
「走れ!タカハシ」と重ねてしまいました。

こちらは、「走れ!タカハシ」というフレーズが
11話のすべてでキーワードになっている短編小説集で、
高橋慶彦選手のドラマチックでワクワクするような球場での活躍が、
外の世界とリンクして進んでいく物語なのです。

が、「走れ!タカハシ」との違いは、さまざまな出来事がおきたあとに
さらにカープに対する愛情が強くなっていくというところですが。


ちなみに、この話の第一話からして、主人公実緒に野球の見方を教えてくれる
おっとこまえな基町ねーさんの、
「あなたが生まれる前にねえ…カープには津田って投手がいたのよ」
って話から入りましたからね。

ここで、まずは、がっつりつかまれましたよ。

さらに、三巻の冒頭は、いじめに苦しんでいる実緒が、
津田のプレートに触れたあと猛烈な熱とともに、
「弱気は最大の敵」のメッセージを受け取るや、
居ても立ってもいられずグラウンドへ飛び出し
外野からダッシュでマウンドに駆けていき
2死満塁の大ピンチに颯爽と現れるや、渾身の一球で見事三振を奪い取る!

という、基町ねーさんと、野球観戦を一緒にしている
みなみ嬢のアニメの企画ではじまりました。

まったくもう、そんなエピソードを喚起させてくれる選手が
多すぎるのです。広島というチームは。


あと、北別府・津田といった選手が活躍した時代のカープの投手陣を、
この当時、他チームのファンであった僕は
すごくうらやましく見ていた記憶があります。
〔僕が応援していたチームの投手陣があまりにも脆弱だったので…〕

でも、今、改めて考えると、あの広さの広島市民球場を
本拠地にしたうえでの投手王国って
どんだけスゴいんだ、当時の広島投手陣、って感じです。

とまれ、両名の受賞について祝福をしたいと思います。
おめでとうございます。

ちなみに、
北別府投手の背番号20は現在永川選手が
津田投手の背番号14は現在篠田選手がつけています。

この両名をはじめとした、広島投手陣が
踏ん張ってくれたら、来シーズンは楽しめそうですよね。



かつて、コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」(富良野市)の
月曜午後五時からオンエアーしていた
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)の
パーソナリティーをつとめていた
イトー×aniでした。
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