「東日本大震災」などでの被害にあわれました皆様へ

不幸にしておなくなりになったかたがたにおかれましては、
ご冥福をお祈りいたしますとともに、

被災された方々、およびご家族、ご親族、ご友人、
その他関係される全ての皆様にお見舞い申し上げます。

可能である限り、行方不明の方が一人でも多く
命あって生還いたしますように。

その他、被災地で生活されているかたがたにおかれましては
一日も早く被災地が復興し、平穏な日々が戻ってきますように。

心よりお祈りしております。



さて、私自身、直接、害を被ったわけではないのですが、
そんなもののつとめとして、後方支援というか、
平穏な日常のために、何をしようかと考えています。

さて、多くの人がそのようなことを考えて
行動をしていると思うのです。


こんなニュースがありました。

デイリースポーツの記事です。


引用します。


巨人・渡辺会長25日開幕を厳命!開幕問題を一刀両断
デイリースポーツ 3月17日(木)9時41分配信

巨人・渡辺恒雄球団会長が16日、3・25のシーズン開幕を厳命した。都内ホテルで行われた燦燦会で「明るい活力を持って、国民の大衆に見せることができるのはプロ野球選手」と、被災地復興のために全力プレーをみせるよう選手に要望した。
 「東日本巨大地震復興支援」として会を始め、壇上に立った渡辺会長。開幕問題に触れ「開幕を延期しろとか、プロ野球をしばらくやめろとか俗説がありましたが、大戦争のあと、3カ月で選手から試合をやりたいと声があり、プロ野球を始めました。フェアプレー、緊張した試合をすれば見ている人は元気が出て、エネルギーが出て生産力が上がる」と力説した。
 燦燦会には約200人の財界人が集まった。大震災に配慮し、選手へのサインや記念撮影の禁止が放送されると、マイクを奪い「だれが言ったんだ!何でも禁止させればいいってもんじゃない。後で懲罰する!」と怒鳴り散らした。
 会長の意見にほかの球団幹部も同調。滝鼻オーナーは「放射能が飛んでくると言っていたが、あれが野球ができない数値なのか。もっと科学的に考えたほうがいい」。清武球団代表も「条件が許せば25日にやりましょうということ」と強調した。



こちらは、夕刊フジの記事です。


引用します。



渡辺会長×選手会全面戦争再燃、25日強制開幕でスト必至
夕刊フジ 3月17日(木)16時57分配信

★「被災者に勇気は思い上がり」
 25日開幕を巡り、労組・日本プロ野球選手会(新井貴浩会長=阪神)vs巨人・渡辺恒雄球団会長の全面対立が再燃。パ・リーグ存続の危機から球界再編、10球団1リーグ制度の動きに反対して、選手会が史上初のストライキを敢行した、2004年以来の非常事態。選手会が再びストライキも辞さずの危機が高まっている。

 15日のセ、パ理事会でそれぞれセ・リーグが予定通りに25日開幕を強行、パ・リーグは開幕を延期することを決定した。が、労組・選手会が12球団実行委員会に対し、東日本大震災の深刻な影響を考え、「セ、パともに開幕を延期してほしい」と緊急提案。セ、パともに開幕延期の流れになっていたが、16日になって事態は急変した。

 この日の財界G党による巨人軍激励会で巨人・渡辺球団会長が25日開幕の正当性を強調。セ・リーグはあくまで当初の予定通り25日に開幕することになった。パ・リーグは被災した仙台を本拠地にする楽天の深刻な状況を考え、開幕延期、セ、パ分離開幕が決定した。この裏にあるのが、巨人・渡辺球団会長と労組・選手会の確執再燃だ。

 セ・リーグが理事会で25日開幕を決めたのは、巨人が予定通りに開幕することに固執したからだ。が、実行委員会での選手会の緊急提案で白紙状態に戻った。この事態に怒りを爆発させたのが、巨人・渡辺球団会長だったことは、容易に想像がつく。

 というのも、04年のシーズン中に起きたオリックスと近鉄の合併に端を発した球界再編、10球団1リーグ制度の動きを阻止したのが労組・選手会だからだ。西武・堤義明オーナー、オリックス・宮内義彦オーナーが巨人・渡辺オーナー(当時)に対し、「パ・リーグは存続できない。1リーグ制度にしてほしい」と懇願。巨人・渡辺オーナーが了承して、球界再編は必至の情勢だった。が、当時、古田敦也会長だった労組・選手会が「12球団2リーグ制度堅持」を訴え、史上初のストライキを敢行して成功。現在に至っている。

 選手会が勝利したのは、「たかが選手の分際で」という渡辺オーナーの発言が、決定的な追い風になったからだ。世論が渡辺発言に猛反発、選手会を熱烈支持したのだ。今回、選手会が要求する「セ、パともに開幕延期」が実現すれば、またまた球界のドンと言われる渡辺球団会長の面目は失われることになる。そういった背景によるセ・リーグの25日開幕強行決定といえる。

 しかし、選手会サイドも「まだ復興のメドも立っていないこの時期に野球をすることが許されるのか。開幕することで、被災者に勇気と元気を与えるというのは、思い上がりだ」という基本姿勢を崩していない。ストライキも辞さずの強硬姿勢をちらつかせているという。セ・リーグが当初予定通りの25日開幕。パ・リーグは延期という、分離開幕ですんなりと一件落着とはいきそうにない情勢だ。球界は重大局面に直面する大危機を迎えている。 (夕刊フジ編集委員・江尻良文)



まずは、この渡邊氏の発言については

プロ野球の開催がこの後どのようになるのであれ、
決して忘れてはならない発言だと思ってください。

氏は、今までも数多くの野球界を揺るがすような
物議をかもす発言をしておりました。

が、今回の発言は、それと並ぶだけでなく、
日本人の生活のあり方についても、軽視した
問題ある発言であると考えます。


さて、
今回の問題についてですが、

確かになんでもかんでも自粛あり気という
風潮はよくないです。


しかし、震災自身で、毎日毎日千人近くの死亡者数が
増加して数えられているように、
まだ、被災地では、多くの被害が連日のように出ています。

余震や、原発の問題などもあわせて
まったく予断のならない状況です。

さらに、関東地方を中心として、計画停電によって
生活にさまざまな制約や支障が出てきている中で、
計画停電が実施されていない地域である文京区や渋谷区などで、
多量の電力が消費されるプロ野球の興行をすることの
整合性についてどう考えるのかという問題が第一にあるでしょう。

東京ドーム一日稼動することで
4000~6000世帯分の電力を消費するという説もあります。


ま、こんなことについては
数多くの人があちらこちらで論評されているので

ここでは今さら書きませんが、


氏が論拠としている一つが、
「開幕を延期しろとか、プロ野球をしばらくやめろとか俗説がありましたが、大戦争のあと、3カ月で選手から試合をやりたいと声があり、プロ野球を始めました。フェアプレー、緊張した試合をすれば見ている人は元気が出て、エネルギーが出て生産力が上がる」
という発言です。

この中にある
「大戦争のあと三ヶ月で選手から試合がやりたいという声があり」
という発言は、

事実ですが、どうもミスリードを誘おうとしているように聞こえます。



たしかに、日本のプロ野球は
1945年のオープン戦を最後に一旦中止されます。

そして、1945年8月にむかえた終戦の三ヵ月後
11月23日に職業野球=プロ野球の試合が行われます。


ただ、時期は11月です。


11月のことですから、当然レギュラーシーズンではありません。


11月から12月にかけて、4ゲーム、東西対抗戦が行われました。
だから、ゲーム数は一日一試合です。

これが、氏のいうところのプロ野球の復活で、
レギュラーシーズンが復活するのは、
翌年1946年の4月をまたなければならないのです。


だから繰り返しますが、
悲惨な戦争がおわって、わずか三ヶ月で
プロ野球が復活したという発言は、本当ですし、

このプロ野球のゲームが戦後の人々に
勇気を与えたというのも事実なのです。

選手が動員されて集まらないなか、東西対抗で行われた試合は
6000人弱の人が熱狂したといわれています。

また、野球復活のために、多くの人が
苦労の末に、GHQと交渉したことについても、
決して忘れてはならないことで、
このような人たちの頑張りがあって、
現在僕らは野球文化を享受できていると思っています。

が、

この発言自体が、多くの人に、
三ヶ月でレギュラーシーズンがはじまったかのように聞こえ、
ミスリードをまねく意図で話でいるとしか考えられないのです。



さらにこのときの観客数は6000人弱。
6000人の人が動くのも一大イベントですが、
現在の数万人集めるプロ野球の開幕興行では
考えられない数字です。



一日1試合で4試合と、レギュラーシーズンで一日3試合を

30000人、40000人入る試合が3試合と、6000人弱の試合が1試合を

それぞれ同列に比較できると思いますか?



当然ですが、このときの試合はデイゲームです。


そして、たしかに1945年の8月以降の状況は
多くの混乱は残り、かつ餓死者が出たりと
悲惨な状況ではありましたが、

悲惨さの決定的な原因となった戦争については明らかに終わり
再びおきることはありえず、
終戦三ヶ月してそれなりの安定を見せている時期であります。


戦争が終わって三ヶ月。

震災がおきて二週間足らずでまだ予断の許さない現況である


これだけでも決定的な差であると思うのです。



せめて、歩み寄り策として、西日本の球場を使って、
デイゲームで行うという案でも示されれば、
考える余地はあったでしょう。


そんな案はセ・リーグの理事会では
一切でなかったようです。


まったく…






あと、セ・リーグの開催を支持したコミッショナー氏については

「世論の賛否両論は十分、理解している。私も多くの方から意見を頂いた。復興のメドがつくまでじっと待てばいいのか。国難の時こそ真剣勝負を見せるのが責務。野球を通して日本に、世界に元気を与えるのが(球界の)使命だ」と発言をされていました。


この発言も、忘れてはならない発言であると思います。

「世論の賛否両論は十分理解している」発言があって、
わずか数日で熟慮された結論が撤回されることは
ないのでしょうねw

どうなりますか。




かつて、コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」(富良野市)の
月曜午後五時からオンエアーしていた
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)の
パーソナリティーをつとめていたイトー×aniでした。
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