2010.06.01 夜露死苦
夜露死苦というと、
都築響一さんの『夜露死苦現代詩』と
思ってしまいます。

文庫版も出版されます。

ハードカバーも持っているのですが、
買わねば、これは

にしても、珍スポット探訪といい、
この企画といい、

都築さんの視点は
ぼくや畏友GMクンのツボと一致しているので

彼と会話をしているときには
盛り上がること必至なのですが


ちなみに、都築さん以外に
呉智英さんの文章も、
その視点の鋭さに目からウロコがボロボロ落ちることが
多いのです。

こちらは少々前の文章です。





以下、【コラム・断】 難読名と偏差値 by呉智英さん を引用します

新聞では、多数派読者を敵に回したり、不快にさせるような話は書けない。それをあえて書きますから、該当する方は、これは自分のことではない、ほかの誰かのことだと思って読んでください。

 私は複数の大学で講師を務めている。毎年学生名簿を見るたびに、読めない名前が増えたなと思う。特に女子名。子(こ)や枝(え)で終わる読みやすい名前が少なくなり、画数が多く無理読みの漢字を使った名前が多くなった。暴走族のグループ名に多い方式なので、私は「暴走万葉仮名」と呼んでいる。
 まあ、娘にどんな名前をつけようと親の自由ではあるのだが、面白いことに気づいた。暴走万葉仮名の女子学生が多い大学は、あのー、偏差値がね、ちょっと、あれなのですね。難関の某国立医大の教授である友人にその話をすると、うん、うちの女子学生に暴走万葉仮名はまずないな、と言う。超高学歴者ばかりの某有名全国紙の女性記者(子がつく)に同じ話をすると、ああそう言われてみればと、同僚たちの名前を思い起こしてくれた。やはり暴走万葉仮名の女性記者はほとんどいませんね、と言う。

 私は、俗流伝統主義者と違って、子のつく女子名は日本の良き伝統だと言いたいのではない。庶民の女子名に子をつけるようになったのは、明治半ば過ぎ、すなわち二十世紀に入ってからだ。皇族華族の女子名に子がつくのに憧れたのだ。その憧れの是非は今論じない。ともかくも「目標」があった。一方、昨今の暴走万葉仮名の女子名はどうか。独自性・独創性(ホントに独自・独創かどうかはともかく)の追求の果ての「俺様(おれさま)化」である。むろん実績の伴う俺様ならけっこうだが、そうでないことを私は体験的に知ったのだ。

 三浦展『下流社会』で下流の指標の一つとして「自分らしく生きる」が挙げられているが、暴走万葉仮名にもその「自分らしさ」が感じられてならない。



暴走万葉仮名ですか。

確かにそうとしかいえないような
名前が多い昨今を批判的にあらわす
ジャストなネーミングがまずはスゴいですし


呉さんといえば舌鋒の鋭さが売りですが、
発表をされたのが、新聞という媒体もせいかもあって、
穏やかな口調なのですが
内容については、声高に主張するのと
同じくらい響いてくる主張がされていますし、

一言で言うと、普通に読めない名前の子どもは、
親たちの「俺様化」である、という内容には
納得できます。

新聞とかで赤ちゃんがーの写真がのったり
コミュニティーFMで新生児の紹介がされているときに

すごいのがきたりしますからね。

そんな傾向に拍車をかけているのが
芸能人の子どもの名前だったりするものですから



多分よくないことだとは思いつつ、
何がどう良くないかをいえずに

なんだか困ったことだなあと思いながらも、
直接、何がどう困るかということを
表現できないままに、

「誰に迷惑をかけているわけではないのだから
かまわないでしょう」
という反論のみが頭に浮かんできては

沈黙せざるをえずに


違和感だけが広がっていく。


ニュースを聞いたりすると
なんか、そういうことを多く感じる
最近なのです。


困ったものです。



かつて、コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」(富良野市)の
月曜午後五時からオンエアーしていた
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
のパーソナリティーをつとめていた
イトー×aniでした。

現在は道央某所に住んでおります。
機会があれば、またボランティアで
ラジオ番組作りに関わりたいと考えています。

当ブログの左側にあるFHFをクリックすると、
過去の番組内容などを見ることが出来るので、
おおよその番組コンセプトがわかるかと思いますので
興味がある関係者のかたがいらっしゃいましたら
当ブログのコメント欄まで連絡をいただけたら有り難いです
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