2010.03.02 弥生の空に
FHF
如月二月も終わりまして、
弥生三月に突入であります。

2010年も、もはや6分の1が
終了したことになるのです。

一月は行く
二月は逃げるの言葉の通り、
慌ただしく日々が過ぎていった気がします。

そして、三月は去る。
これからも早く過ぎる
日々が続いていくのです。

また、三月は去ると言えば、
学校の卒業や、職場の人事異動などが
ある季節でもあります、

今日も市内など富良野管内をはじめ
多くの高校で、卒業式が行われました。

この後も、中学校、小学校と
卒業式が行われていき、

多くの別れがありながら、
慌ただしく時は流れて、
出会いの春を向かえていくのです。



3月1日 オンエア 第255回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
です




17日間にわたって繰り広げられた
連日の熱戦が続くバンクーバーオリンピックが
無事終了いたしました。

選手達の超人的な技量とともに
そのような技量を高めてきた、
多くの選手の努力を垣間見ることが出来て、
僕自身もたいへん刺激を受けました。

スキー競技やリュージュのコース状態の悪さや、
フィギュアスケートの音響ミスに
ジャッジの不公平さなど、
気になることもありましたが、

基本的に、それぞれの競技の面白さに、
思わず生活時間帯がひっくりかえってしまった
そんな日々も、とりあえずはこれでおしまいです。

さて、そんな冬季五輪中は、
普段あまりテレビで放映されない種目が
テレビで見ることが出来て、思わぬ面白さに
目覚めたりするのですが、


その最たるものがカーリングでしょう。


僕自身も、地元、富良野の高校を卒業した
目黒萌絵選手がトリノの大会に続き出場し、
今回はチームの主力だということもあって、
前回大会同様に、注目していたのに加えて、

今回も序盤などでの健闘ぶりがあって
声援をおくったクチなのです。


カーリングは、氷上で行われるウィンタースポーツで、
4人ずつ2チームで行われ、
目標とする円をめがけて各チームが交互に8回ずつ
石を氷上に滑らせて、
石を円の中心により近づけたチームが得点を得て、

これを10回繰り返し、総得点で勝敗を競う競技です。


高度なコントロールなどの技術とともに
優れた戦略が必要とされることから、
「氷上のチェス」とも呼ばれています。



カーリングが日本で普及されたのは、
結構最近のことで、

僕自身がカーリングを知ったのは、
今から二〇年近く前に
当時の週刊少年サンデーに連載されていた
吉田聡さんのマンガ『ちょっとヨロシク!』に
出てきたこととともに、

単行本の中で、
吉田さんがカーリングを体験した時、
吉田さんがいくらスィープをしても
まったくストーンの速度も軌道がかわらないのに
選手がスイープすると、速度や軌道がかわるので、
選手はスゴい、

といったムネのマンガを
描いていたので、
印象に残っているのです。


その後、冬季オリンピックの種目に
正式採用された長野での
男子チームの活躍で、
より身近に感じるようになったのです。

だから、新しいスポーツであるのかと
勝手に思っていたのです。



そもそも競技の発祥は、
15世紀のスコットランドで
池や川の氷上で、石を投げ合って遊んだのが
起源ではないかと言われています。

スコットランドでは、1551年の日付が記された、
世界最古のカーリーグストーンが発見され、
保存されていますので、
16世紀にはすでに定着していたのが
定説になっています。

ただ、当時は底の平らな川石を
氷の上に滑らせていたものとされていて、
このカーリングの元となった遊びは、
こちらもスコットランド、グラスゴー近郊の
レンフルシャーで、1541年2月に行われたと
記録されているのが最古のものです。


「カーリング」という名称の起源も
定かではないですが、
ストーンがクルクルと回転(カール)しながら滑っていくさま、
又は、ストーンがサークルに向かっていく様子が
女性の髪の毛のカールのように、
ゆっくりとカールを描きながら動いていくところから
カーリングと名付けられたと言われていまして、

1630年のスコットランドの印刷物中に
この名称の使用が確認されています。

そんなスコットランドでは16世紀から19世紀にかけて
戸外でのカーリングが盛んに行われていて、

1760年には、エジンバラキャノンミルズクラブが設立され
その他いくつものカーリングクラブがあったそうです。

一方でスコットランドから渡った移民も
カーリングを楽しんでいて、
現在のルールは主にカナダで確立したもので、
1807年には王立カーリングクラブが設立されました。

また、1832年にはアメリカ合衆国にカーリングクラブが誕生し、
新大陸でも活発に競技が行われるようになると、

1838年には、母国とも言うべきスコットランドで
グランド・カレドニアン・カーリングクラブが出来ます。

このクラブは時のヴィクトリア女王によって
ロイヤルの名称を授かり、
ロイヤル・カレドニアン・カーリングクラブとして
現在も残っております。

160年前にスコットランドで結成された、このカーリングクラブは
やがて世界のカーリングを統括していき、
世界選手権の開催にも貢献をしました。

その活動の中で生まれた、
多くのカーリング選手(カーラー)は、
自国のカーリング協会に登録されますが、
それは同時にロイヤル・カレドニアン・カーリングクラブの
メンバーとしても登録されるというシステム、

言い換えると、世界中のカーラーは
ひとつのクラブの仲間という考えが確立されました。


そんなカーリングは、19世紀の終わりまでには
スイスとスウェーデンへと広まり、
更にヨーロッパ全土へと広まり
1957年に「国際カーリング連盟」が創立されます。

1991年に、国際カーリング連盟が発展解消する形で
「世界カーリング連盟(WCF)」に名称変更され、
その翌年にスペインのバルセロナで行われたIOCの総会で
カーリングが冬季オリンピックの正式種目として認められ、
1998年の長野オリンピックから
オリンピックでのカーリング競技がスタートをしました。

現在はヨーロッパを中心に北米、中南米、アジア、オセアニアなど
45ヵ国がWCFに加盟しています。



さて、カーリングが日本に初めて登場したのは、
1937年(昭和12年)と言われています。

この前の年、ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで開催された
冬季オリンピック大会に参加した日本選手団が、
4年後の1940年に、札幌で開催されることが決まっていた
冬季オリンピック競技大会に、このゲームを導入する目的で
現地からストーンを持ち帰り、
長野県諏訪湖で実演。

カーリングクラブを設立し、
カーリング大会も開催しました。


しかし、日中戦争、第二次世界大戦になって
札幌オリンピック自体が幻の大会になり、
この競技はそれ以後、日の目も当たらず、
休眠状態になってしまいました。

その後1947年(昭和22年)1月頃、
諏訪湖氷上でカーリング大会や
1958年(昭和33年)北海道ウトナイ湖において
カーリングストーンの導入が行われたようですが、

こちらも、普及するには至りませんでした。

では、いつから本格的な普及が
始まったのかというと、

北海道で、1977年(昭和52年)以降、
カナダアルバーター州との文化交流事業の一環として
カーリングが紹介されましたが、

1980年(昭和55年)1月から北海道庁が
カナダの元世界チャンピオンであったウォーリー・ウースリアック氏を
招聘し北海道内21市町においてカーリング講習会を開催して普及につとめ、
各市町にカーリング協会が次々と誕生したことに端を発します。

これを機会に、1981年(昭和56年)に
北海道カーリング協会が設立されました。


この波は、本州へ広がり、東京都をはじめとして、
インドアリンクのある名古屋市などにカーリングファンが増え、
同時に協会が設立されることになりました。


1983年(昭和58年)東京都カーリング協会が、
1984年(昭和59年)愛知県カーリング協会が
それぞれ結成されたことから
日本を統一する組織化についての機運が高まり、

準備委員会を経て、1984年(昭和59年)2月に、
北海道、東京都、愛知県の3都道県のカーリング協会によって
日本カーリング協会を設立しました。

この設立を記念して第1回日本カーリング選手権大会を、
第11回札幌冬季オリンピック大会の会場となった
札幌市真駒内アイスアリーナで開催しました。


このような各地で競技が浸透をしている中、
特に普及に熱心であったのが、
北海道の常呂町(現 北見市)です。


常呂町は、80年代の普及がはじまった当初から、
ビールのミニ樽やプロパンガスミニボンベなどで
ストーンを自作し、町を上げての普及に取り組み、
1981年には、第1回NHK杯(北見放送局)カーリング大会を開催、

1988年には、「はまなす国体」のカーリング競技場として
五本のレーンを備えた国内初の屋内カーリング専用ホールを建設、

国内外の大会を開催し、
オリンピック選手を多数輩出などの
非常に大きい功績をもたらしました。

1998年の長野オリンピックでの
男子チームスキップとして活躍をし
競技の知名度をあげた
敦賀信人さんをはじめとして、
多くの選手が処出身なのです。

なんといっても、
長野オリンピックでは男女の代表十人中五人が、

これまたテレビで注目を集めた、
2002年のソルトレイクシティオリンピックでは
女子チームの五人中四人が

全試合を中継された中で
7位入賞という活躍を見せたことで、
日本におけるカーリングの認知度が一挙に高まった
2006年のトリノオリンピックでは、
女子チーム五人中三人が、

そして今回のバンクーバーオリンピックでも
五人中二人が、常呂出身なのです。



と、いうことは今までオリンピックの
日本代表になった二五人のうち、
一四人が、常呂町出身。

そんな競技って寡聞にして、
僕は知りません。


常呂町は、先述した
五本のレーンを擁する
専用のカーリングホールがあって、

冬場は草野球ならぬ、草カーリングが
行われておりまして、

老若男女問わず、熱い戦いが
繰り広げられています。

オリンピックの代表になった選手達も
そのような場数を踏んで、競技に目覚めた
人たちなのです。


このように、
競技の面白さともに
国内での歴史が比較的新しいというところも
注目するところです。



さらに、カーリングの試合を見ていて気がつくのは、
最後の微妙なストーンの近い遠い以外には

審判らしい人が出てこないところです。


これは、前述した、全員が一つのクラブの仲間である
という意識とも通じるかもしれませんが、

カーリングというスポーツは、
スポーツマンシップを重んじる競技であるため、

例えば相手チームの失策を喜んだり、
あるいは、そのような態度を示すことは、
慎むべき行為として忌避されています。

途中のエンドの終了時に自チームに
勝ち目がないと判断したとき、
潔く自ら負けを認め、
それを相手に握手を求める形で示すという
ギブアップの習慣も

フェアプレーの表れの1つだそうです。

競技者がファウル・ルール違反をした時、
それを自己申告するくらいのプレイ態度が期待されています。

試合中のその場の両チームの競技者自身が判定する
セルフジャッジの競技であることからも、

無用のトラブルを避けるためにも、
フェアプレーはカーリングに欠かせない要素と考えられているのです。


そのあらわれが

世界カーリング連盟が定めるRULES OF CURLING(カーリング競技規則)の
冒頭に掲げられている
The Spirit of Curling(和訳「カーリング精神」)です。

カーリング競技の根本は、この理念から
成立していることを示しているのです。

カーリング精神(The Spirit of Curling)は、
カーリング競技の基本理念。また、これを述べた文章のことで、
すべてのルールやジャッジを支えるものとして、
競技者の間で尊重されています。


原文は英語ですが、競技各国によって
それぞれ翻訳をされています。

ちなみに以下の文章が
日本語訳 です。

「カーリングは、技量と同じくらい、しきたりを重んじるスポーツである。うまくいったショットはひとつの喜びだが、カーリングの伝統あるしきたりが真に生きているゲームを目の当たりにすることは、それに勝るとも劣らないくらい素晴らしいことである。カーラーは勝つためにプレイするのであって、負かすためにプレイするのではない。真のカーラーは、不正をして勝つくらいなら負けることを選ぶだろう。

良きカーラーは対戦相手の気を散らしたりしない。またそういう行為によって、ベストを尽くそうとしている相手を邪魔したりはしない。

いやしくもカーラーたる者は、故意にルールを破ったり、しきたりを辱めたりはしない。しかし、もし偶然そうしてしまい、それに気づいたならば、誰に言われるまでもなく、自ら違反を申し出るものである。

ゲームというものは、プレイヤーそれぞれの技量を明らかにするためにある。しかし同時にゲームの精神について言えば、善きスポーツマンシップ、思いやりある態度、そして誇り高い振る舞いが求められている。この精神は、ルールの解釈や適用のしかたに生かすべきであるのみならず、アイスの上にあるとなきとにかかわりなく、すべての参加者が行いの鑑とすべきものである。」


なかなか、いい文章だと思いませんか?

このような文章の存在も
僕にとって、カーリングについての興味を
ますます多くしてくれる原因となりました。

ここに述べられている理念の背景として、
カーリングがイギリス(スコットランド)発祥のスポーツの例に漏れず、
プレイヤーを審判の監視でがんじがらめにするよりも、
その自発的・自律的なフェアプレイにゆだねること=セルフジャッジを
美徳とする競技であるということが挙げられます。

最後のよりどころとしてルールは存在しますが、
その解釈や適用は第一義的にはプレイヤーにゆだねられ、
プレイヤー間の意見が食い違い、紛争が生じた時に
初めて審判が介入するのが
カーリング競技の基本的なありかたなのです。

と、いうことを考えると
ゴルフと似ていると考えるのが
わかりやすいのではないでしょうか。



このようなルールを重んじることが出来る精神性とともに、

繊細なストーンのウエイトをコントロールするテクニック、
微妙なスウィーピングによるコース誘導そして
欧米人と比較して体格面での不利が競技に影響しないこと。

これらを鑑みても、カーリングは
細かい仕事が得意な
日本人向きのスポーツと言えるのではないかと思うのです。



前回、前々回もオリンピックでも盛り上がったのですが、
今回の中継での盛り上がりをきっかけとして、

さらにカーリング人口が増えると
ソチでも面白いことになるのでは
と思いますし、

今回の遠征や今までのチーム強化については
青森県におうところが多かったのです。


冬季オリンピックはどうしても、
雪国にある地場の企業の協力の大小が
結果に結びつく例が多く、

北海道・東北の景気がなかなか良くならないなかでの、
ソルトレイクシティーやトリノの結果という

反省項目があったのですが、

なかなか、この点については、
改善されない問題でした。


来週はそんな話をしたいと思います。





ヘタリアに言論と表現の自由を!
民族浄化[ここでは、ある民族のみを浄
化した姿で描けという要求]反対!
自由ヘタリア救国民族解放戦線の「イトー×ani」がお届けする
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
北海道富良野市・上富良野町・中富良野町など限定で聴く事が出来る、
コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」の
月曜午後五時からオンエアー中

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〒07 6-0026 富良野市朝日町5-17 ラジオふらの
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