2009.12.15 雲龍奔馬
FHF
まだ二話目ですが、
坂の上の雲は見応えのあるドラマですね~。

あと二回だけちらっとみせて
また来年だなんて、

結局、NHKのサクリャクに
ハマりそうでアリマスよ。

なんて話しは先週も書きましたし、

僕が年に何回かボランティアで行っている
「ふらの市民講座」の中でも
お話をさせてもらいました。

と、いうのは、
今回の「ふらの市民講座」のテーマというのが




12月14日 オンエア 第244回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
です

市民講座の講師を引き受けて
3回目の12月ですが、

この時期の定番といえば
来年の大河ドラマをテーマにした
お話なのです。


と、いうことで、この人についてを
テーマにするのは、意外にもはじめてですが、

坂本龍馬の話です。


僕自身も、高校生の時に
司馬遼太郎さんの小説に
ドハマリをしてしまったクチでして、

そのことについて思うところはあるのですが、


司馬遼太郎さんのウマさは、
史実とフィクションの絶妙な配合具合とか、

フィクションをフィクションと思わせないような、
モロモロの仕掛けとか、
膨大な史料を積み重ねて
その間にエピソードを挿入して読ませる手法とか、

まあ、言ってしまえば、
極めて巧妙なウソの付き方に
ヤられてしまうのです。


しかも、彼の小説に出てくる、
あまたの本筋を補うような端々に張られた
伏線とか蘊蓄などを読んでいると

あたかも歴史の重奏性とかが
一気に頭に入ってくるような気がする。
というのも巧みですね。

読めば頭がよくなった気がするというか
史観とまで言う人が数多くいるのも
納得です。

さて、そんな司馬さんの小説の中で、
最も売れているのが

「竜馬がゆく」で、2125万部

ついで「 坂の上の雲」で、 1475万部
その次が 「翔ぶが如く」で、 1070万部

という順番だそうです。


もともとは、産経新聞の夕刊に連載されていた
新聞小説が、単行本になって

文春文庫のレーベルを立ち上げる時の
第一作にしたそうです。

結果このような
大人気になりました。


さて、そんな話の主人公である坂本龍馬ですが
さまざまな言い伝えを残しています、。

龍馬は、1835(天保6)年に土佐藩で生まれます。

母が龍が体内に入る夢を見た後に
龍馬が生まれた上に、

背中に龍や馬のように毛が生えていたところから
『龍馬』と命名されたというのは、
小説やマンガで紹介されてますが、
これは龍馬が有名になってから出来たエピソード
という考え方が、今は主流ですね。

ただ、大河ドラマの「新撰組!」を見ている時
坂本龍馬〔江口洋介さん〕が
初登場でいきなり諸肌を脱ぐシーンがあったのですが、

その時に、「あ!たてがみがない!!」
と思ってしまうったのは
僕が歴ヲタである性ですかw…


そんな龍馬のたてがみ伝説と同じくらい
有名であったのが、

泣き虫・いじめられっ子・落ちこぼれであったという
ことです。、


そもそも坂本家は、郷士とはいえ
裕福な商人の家で
生まれました。

郷士というのも
土佐独特の武家の身分制度ですが、

江戸時代の士農工商といった身分制度の中でも、
土佐藩ではさらに「士」の中でも「上士」と「郷士に
わけていました。

当時の土佐藩の藩主は山内容堂豊信です。
山内家の祖である山内一豊は、大河でも取り上げられましたが、
妻千代のへそくりで馬を買い、それが信長に認められ出世していった
超有名なエピソードがありますが、
関ヶ原では家康につき、小山評定の発言で評価を上げた上、

本当は東軍につきたかったものの、
上洛中に長束正家と出会ったがばっかりに
西軍につかざるをえず、
かつ、兵を動かしていないのにもかかわらず、
負けたということで、長宗我部盛親を追い出して
土佐を手に入れました。

山内家は徳川家のお陰で掛川6万石から
土佐24万石という出世をさせてもらうことになります。

そのため、250年以上たった豊信の代でも、
幕府を助ける「佐幕派」であり続けるのです。

さらに、進駐してきた山内氏は当然ですが
自分の子飼いの家来を連れて土佐へ入ります。

長宗我部盛親は、関ヶ原で兵を動かしていないのにもかかわらず
西軍についたということで、所領没収となりました。

ちなみにこのあと、大坂の役で、土佐への復帰を目指して
奮闘をするのですが、結局敗れてしまうのです。

そんな長宗我部家の遺臣を全てクビにし、
かつ、反山内派の主立った家臣を弾圧し、
長宗我部の遺臣には「下士」として農地開発を強制的にやらせ、
そして山内家の家臣を「上士」とする
徹底的な身分差別制度を導入したのです。

ここで土佐に「上士」と「下士=郷士」という
身分制度ができてしまうのです。

ちなみに、龍馬の家はお金で郷士の格を
手に入れた家ということで、

生活ぶりは一部の上士よりも豊かであった
といったことから、

また複雑な立場であったのですが…


それはさておき、


そんな恵まれた家に育った龍馬は、
幼少の頃は泣き虫で、友達と遊んでもすぐに泣かされて帰ってきたり
楠山庄助塾もできの悪さですぐに退塾させられました。
などと多くの龍馬を語る小説・マンガなどでは
描写されています。

実際のところ、龍馬は14歳で日根野道場に入門するまで、
楠山庄助塾に入って退塾させられたこと以外
ほとんど史料がありません。

楠山庄助塾を退塾する原因も、
小説やマンガなどでは楠山庄助が
「お宅のご子息は手におえません、お手元で手習いさせてはいかがでしょうか」
と父である八平に勧告に来たなどと描写されることが
多いのですが、

実は塾で龍馬が上士の子と喧嘩になり、
上士の子が刀を抜いたので楠山庄助がその子を退塾させたが、
八平が上士に気を使い「喧嘩両成敗」だからと言って、
龍馬をやめさせたのが真相のようです。

龍馬の父八平は気配りの人ですからね。


しかし、龍馬が小便たれだと裏付ける文章は残ってます。

坂本家の本家である才谷屋に嫁いだ内田さわ(昭和元年没、享年89歳)さんの
孫にあたる宍戸茂(明治24年生まれ)さんが、
旧高知県立高等女学校の明治四十一年卒業生同級会誌『長路』(昭和42年発行)に
「坂本龍馬と私」という一文を発表して次のように書いているのです。

「龍馬の話は一丁目の小便たれ、権平さんはよく物の分かったひと、乙女姉さんはお仁王様。」

といった感じで、実際に龍馬の身内の子孫が
「小便たれ」と表現はしています。

が、この史料にあたる時も注意が必要で、

内田さわさん自身は、龍馬より3つ年下で、
才谷屋に嫁いだのも、龍馬が十四才になった後の話なので、
龍馬が14歳まで寝小便をしていたことを
直接に知っているはずもなく、

聞き伝えをさらに孫に伝えたもだというのがわかります。

自分の生まれたときからを知っている
親戚の叔父さんとか、叔母さんとかに
「あの鼻たれ」とか「小便たれ」ぐらい言われたことは
あると思います。

ですから、この一言で龍馬が
落ちこぼれであったと決め付けるのは
早計といえます。

まぁ、小説としては
落ちこぼれが、成長して大成功するといった
ストーリーの方が面白いですがね。

しかも、「竜馬がゆく」を執筆する前に、
司馬遼太郎さんが、宍戸茂さんに
取材をしているのです。


ちなみに、宍戸さんがお仁王様と行っているのが、
龍馬の姉である「乙女」ですが、

12歳の時に母が死に、母親代わりをつとめたのが、
乙女でしたが、一説によると、
身長174センチもあり体重も110キロ。

なぎなた・馬術も大得意なうえに
ストレスを発散するためにピストルを撃つという
男勝りの勝気な女性でした。

そんな乙女に尻を叩かれ、龍馬は日野根道場へ行くのですが、
ここから龍馬がメキメキと頭角を現し始めたのです。

そなおりに出会った剣客 大石進が、
土佐藩でも強いと言われている者たちを
バッタバッタと倒していったうえに、

「江戸は恐ろしいところです。強いヤツが次々とやってくる。
剣をやるなら江戸に出なければなりません」

と言ったのです。
それを聞いた龍馬は江戸を目指すことになりますし、

江戸で彼の人生を変えるような人物と
出会うことになりますし、
小説でも、いよいよ盛り上がってくるところであります。


が、ここで時間となりました。

来週は、この続きを
お話をしたいと思います。

オタノシミに。



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化した姿で描けという要求]反対!
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