FHF
富良野から見える山の紅葉は
だいぶ色がくすんできたところですが、

先日美瑛から芦別へ抜ける
ダートの道を走った時に、

目に入るのが、ダートの道と
オレンジ色に染まった木だけという
光景に目を奪われてしまいました。

標高の高いところから
葉は落ちていますが、
また一つ、隠された美しい景色を見つけ、
ほっこりとした心で
家路についたわけです。

そんな紅葉の残る山と、
山頂に残る雪とのコントラストが
これまたキレイで、
この時期ならでは眺めです。


先々週末、出張で旭川に行ったのですが、
その時、多くの雪虫が飛んでいる姿を
見かけましたが、

今朝見たニュースの週間予報では、
週末の旭川に雪だるまマークがついていました。

やはり雪虫恐るべきだなあと
思ったのでした。



10月26日 オンエア 第237回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
です

先々週は、三国志の成り立ちについて、

舞台になった時代背景とか、

3世紀、晋の時代に成立をした正史「三国志」と
5世紀、南北朝時代の宋の文帝の命令でつくられた
裴松之の注と、
14世紀、元末~明初に成立をした「三国志演義」との
関連や違いの話などをしてきましたが、


後漢という時代の悲劇は、
初代光武帝、二代目明帝までは良かったものの、

三代皇帝 章帝 57年生まれ 75年即位
四代 和帝、79年生まれ、88年即位
五代 殤帝(しょうてい) 105年生まれ、 105年即位
六代 安帝 94年生まれ 106年即位
七代 少帝懿 生年不詳 125年即位
八代 順帝 115年生まれ、125年即位
九代 沖帝 143年生まれ、144年即位
十代 質帝 138年生まれ、145年即位
十一代 桓帝 132年生まれ 146年即位
十二代 霊帝 156年生まれ 167年即位

と、
全員の皇帝が二十歳未満で即位してるという、
異常ともいえる皇位継承の問題があります。


また、秦や漢の時代から頭痛のタネであった
北方民族の活躍に加えて、

外戚によって、一旦漢王室が中断された過去は
どこへやら、
異常ともいえる皇位継承につながっていますが、
若い皇帝と、それを担ぎ出す、皇后・外戚
それから強い権力を求めた宦官などが
中央政界に跋扈するようになり、

地方の政治がしだいにおざなりになっていく
時代なのでした。


そんな社会不安を背景に強大化したのが、
三国志の序盤で数々の印象的なエピソードを残す
黄巾の乱です。


黄巾の乱は、184年(中平1年)に
太平道の教祖である張角が起こした農民反乱で、
参加したものが、目印として黄巾と呼ばれる
黄色い頭巾を頭に巻いた事から、
この名で呼ばれるようになりました。

リーダーの張角は、太平道といわれる
民間宗教の教祖ですが、
前半生はあまりよくわかっていません。

後漢中期、
皇室を操る宦官勢力、外戚勢力をめぐる
権力争いである党錮の禁に関わった
ともいわれています。

これは、後に、張角が反乱を起こしたとき、
帝は党錮の禁を解いたのですが、
「張角だけが許されなかった」という記述が
後漢書・霊帝紀にあえて書かれているので、
多分そうなのでしょう。


また、三国志演義によると、

弟の張宝、張梁とともに、薬草をとったり、
商人の荷運びの仕事をしながら
なんとか生活をしていたのですが、
官吏登用試験に落第したある日、
山中に薪を取りに行くと、
南華老仙に会い『太平要術の書』を授かり、

張角は南華老仙の教えに従い、風雨を起こす力を体得し、
民には符水を飲ませて病の人々を救ったことから
このことが民衆の間に広まっていき、多くの信者が集まって、
太平道の形成に繋がっていきました。


といった感じで物語は
オドロオドロしいタッチですすんでいきます。


が、演義にある「試験に落第した秀才」といった設定ですが、
試験で官吏を登用するのは、
「隋」からですから、

これはいかにもなわかりやすい、後から付けられた設定ですね。


が、病気を治すことによって、大衆の信心を
つかんでいったのは、確かなようです。

また、後漢時代に行われた悪政と、
飢饉、異常気象が重なったことで、
国に対する民衆の支持はほとんどない状態の時代、

奇跡を起こす張角が
頼られる存在であったというのは、
自然な流れでしょう。

衆徒は数十万にもなったそうです。


最初は病気直しだった太平道ですが、
『太平清領書』をもとにして
次第に政治色を帯びてきます。


太平道の経典である太平経の教えのなかに、

「天、陰陽を失えば則ち其の道を乱し、
地、陰陽を失えば則ち其の財を乱し、
人、陰陽を失えば則ち其の後を絶ち、
君臣、陰陽を失えば則ち其の道理おさまらず、
四時、陰陽を失えば則ち災いと為る。
今、天は象を垂れて人の法と為す。
故より当に之に承順すべきなり」

という教えがあって、

これが現在の政治状況の乱れが、天をおこらせ、
かつ天によって王と政治が見放されたことになり、
多くの天災などにつながっている

という、現在の宗教でもよくある
終末思想的な内容なのです。


この考えとともに、
「演義」でも語れることになる
超有名な言葉である、
「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」
(蒼天已に死す 黄天當に立つべし 歳は甲子に在り 天下大吉)
の言葉を広めたのです。



この言葉は陰陽五行思想に基づくものです。

陰陽五行思想とは、
中国の春秋戦国時代ごろに発生しまして、

もともとは、
古代中国の思想である、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物を
さまざまな観点から、互いに対立する属性を持った二つの気である
陰、陽の二つに分類して、万物の生成消滅と言った変化は
この二気によって起こり、

このことを知ることで、万物の事柄を理解して、
将来を予測する、陰陽と、


古代中国にはじまった、
万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなる
という自然哲学の思想である五行説が結びついたものが
陰陽五行説なのです。

陰陽思想と五行思想との二つの組み合わせによって、
より複雑な事象の説明がなされるようになりました。


五行の五種類の元素は
『互いに影響を与え合い、
その生滅盛衰によって天地万物が変化し、
循環する』という考えが根底に存りまして、

相手を生む、陽の関係、
相手を滅ぼす、陰の関係などで語られます。

で、相生の関係では

木生火
木は燃えて火を生む。
火生土
物が燃えればあとには灰が残り、灰は土に還る。
土生金
鉱物・金属の多くは土の中にあり、土を掘ることによってその金属を得ることができる。
金生水
金属の表面には凝結により水が生じる。
水生木
木は水によって養われ、水がなければ木は枯れてしまう。

とされていて、
火から土が生まれることが語られています。

ちなみに黄色は五行思想では「土」を表す色で、
後漢王朝は「火徳」の(姓の)王朝とされていました。

木火土金水の順に巡るとする法則に合わせれば、
「火」(赤色)の王朝である漢の次に、
代わるものという意味もあります。



ただ、冒頭の文章である、『蒼天已に死す』
との関連性ですが、

前述通り、後漢は「火徳」(火・赤)の王朝ですから、
後漢を「蒼天」(木・青)と表現するのはおかしいという考えもあります。


ただ、「蒼天已死」という文句は、
張角の活躍以前にすでに現れていて、
張角はそれを語呂から、「黄天」に結びつけたのではないか
とも言われていますし、

また、一説には、
蒼の字は老いた、と言う意味を、
黄は若い(幼い)、と言う意味をそれぞれ持つ事から、
『蒼天已に死す。黄天まさに立つべし。』は単純に
『老いた天は既に死んだのだ。若き天よ今こそ立つときだ。』
と言う意味あいを持っていただけだったのかもしれない、
ともされています。



とまれ、このような意味合いを持つ言葉が、
役所の門などに白土で書かれるようになります。

184年、兵を集めていた部下、馬元義を、都洛陽におくりこみ、
朝廷内の内応者と通じて、中からも武装蜂起させることを約束させます。

ところが、張角の弟子の密告により、蜂起計画が発覚、
馬元義は車裂きの刑に処され、宮省内にいる張角の衆徒が
取り調べられた上、千余人が誅殺され、
蜂起の首謀者である張角を捕えるようにという命令が出されます。

そこで張角は、天公将軍、弟の張宝は、地公将軍、張梁は、人公将軍と称し、
一気に決起をします。
この時にも強くおしたてた、「蒼天已死 黄天當立」のもと、
皆が、黄巾をつけて、目印としたので、
黄巾党、黃巾賊などとよばれるようになります。

黄巾の乱は漢王室の支配に不満を持つ民衆の支持を得て
中国全土に広まりましたが、
張角が志半ばで病死した後は、
後漢の将皇甫嵩や朱儁らの活躍により急速に乱は
治まっていきました。


この鎮圧のために集められた群雄の中に、
のちに三国志の物語を彩る人々が
多く関わっています。


また、この後も広範な地域に跋扈する黄巾軍の残党が、
その後も反乱を繰り返したり、山賊行為や盗賊行為を行っていたため
治安が良いという状態にはなりませんでした。

中でも青州では、黄巾軍100万人による反乱で、
192年、兗州刺史の劉岱が殺されましたが、
曹操の討伐を受け、黄巾賊の兵30万人と、
非戦闘員100万人が曹操に降伏していまして、

これが、精強を誇る青州兵のもとになります。

ちなみに青州兵は、曹操のみに忠誠を誓ったので
曹操の死後、魏に残ることはなかったそうです。


そんな治安の悪さに加えて、
反乱の鎮圧に手を焼いた、後漢政府の統制が
ますます弱体化したことが、治安の悪化につながり、
それぞれが自衛をするという目的の下
主に豪族を中心にして村落共同体規模で、
武装を行うものも現れますし、

これ以降増えることになる、軍閥的な勢力は、
黄巾の乱により武装化した豪族たちを次第に吸収をして
成長をすることになります。


また、治安の悪化にともなって、
反乱の及ばない江南や四川へ逃れた知識人により、
文化が伝播、拡散をするのですが、

このことが江南、四川地域の生産力向上につながり、

三国時代とそのあとの南北朝時代の対立をささえる
経済的な基盤となるとともに、

知識人の一部も軍閥勢力に吸収されていき、
軍閥に知恵を持って仕える人々の存在に繋がり、

これらがすべて、
三国時代を盛り上げる一要因になるのです。




それにしても、三国志演義が成立したとされる、
元末~明初の時期も、

王朝の腐敗と衰退があり、

宗教を基盤とする民衆反乱が続き、

地方の政治が多いに乱れたってことで、

「三国志語り」も、そんな当時の世情と
この物語の書かれた時代の世情が

ぴったりとハマっているということで、
アツく語ったのかもしれないなーと

愚考する次第です。



と、いうことで来週も
三国志のお話は続きます。



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化した姿で描けという要求]反対!
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