FHF
ファイターズ
いよいよマジック1となりました。

もう今夜はラジオの前で釘付けですね。

さて、
10月に突入しました。

土曜日のお昼には通り過ぎる寒冷前線のイタズラで
スコールのような一雨が来ましたが、

その後は天気もやや持ち直し、
息をのむようなきれいさの
中秋の満月を楽しむことが出来ました。

この時期は、一雨ごとに
秋が深まってゆく季節でもありまして、

職場の玄関でも
係の人が落ち葉を掃いている姿を
目にもしましたし、

澄んだ空に浮かぶ月とか、
落ち葉をもたらす燃えるような山の紅葉など、

美しいものが
これからもたくさん見ることが出来る。
そんな季節なのですね。



10月5日 オンエア 第234回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
です。

世界最大にして、200年近い伝統を持つビール祭り
「オクトーバーフェスト」が終了いたしました。

オクトーバーフェスト(ドイツ語で:Oktoberfest)は、
先週お話をしたとおり、
スイス・オーストリアと国境を接する
南ドイツのバイエルン州の州都ミュンヘンで開催される
世界最大のビール祭りです。

1810年以来、ミュンヘン市の西部、
テレージエン・ヴィーゼで
9月半ばから10月上旬に開催され、
毎年600万人以上の人が会場を訪れています。

お祭りのために特別に造られる「オクトーバーフェスト・ビール」や
これまた、お祭りのためだけにつくられる移動遊園地、
参加者が着ているバイエルンの民族衣装など、見どころ満載な
ビールの都ミュンヘンが誇る一大イベントなのです。

会場のテレージエン・ヴィーゼは、42ヘクタールの巨大な敷地で
東京ドーム9個分に敷地に一万人近く収容できる
大手ビール会社や個人が運営する
14の大テント(ビアホール)と、
中・小規模のテントが16立ち並びます。
テントの外にはさらに数千席が用意されていて、
トータル席数十万席弱が期間中は、
朝から晩まで通して満員状態、
ものすごい熱気が漂うのです。

参加者の7割が地元バイエルン州から
残り3割の半分がドイツ国内、半分が国外からの観光客で、
外国人だけで100万人近くを集めるのです。

しかも、この祭りのために12,000人が雇用されまして、
そのうち1,600人がウェイトレスおよびウェイターなのです。


そんなお祭りの描写がされていて印象的だったのが、

愛読しているマンガで、先日の当ブログでも取り上げました
「もやしもん」(石川雅之さん著 講談社イブニングコミック)でして、

地ビールに偏見を持つムトーさん(僕、大好きです♡)の偏見が、
かのうファームの加納さん(こちらも、僕大好きです♡♡)と
和解をする過程でほどけていって、

何かビールの為に出来ないかって考えたのちに
農大版オクトーバーフェストをしよう

って話がありました。


「もやしもん」は、一見大学生の本人は深刻で、
だからこそ、楽しそうな
「もう一回大学生に戻りてー」と
絶叫してしまうこと必至なマンガなのですが、

日本の食生活が多用であることを
教えてくれながらも、

それが危機を迎えているということを
シリアスに知らせてくれますし、

発酵食品全体に対する愛情があるので、
お酒って何かって問にも答えてくれる
マンガなのですよ。



閑話休題

さてさて、お酒とくればつまみがつきもの。

お祭りに参加しているお客さんは
ビールを飲みながら、大いに食べるのです。


一番手軽な食事は
細長い生地をくるっと輪にして中央で交差させてとめた
独特の形をしたブレーゼBrezeというパンで、
ドイツらしいのは、名物の岩塩の粒が
表面にいっぱいついているところでしょうか。

またドイツといえばソーセージですが、
各種ソーセージだけでなく、
牛肉・豚肉のローストなどの肉料理や、
ヘンドゥルと呼ばれる、鶏肉の丸焼きも
よく食べられています。

スタンダードなサイズは、一皿2分の1羽がですが、
一皿では終わらないのがパターンのようです。

また、シュペッツレ(Spätzle チーズや小麦粉で作った麺)に、
カマンベールチーズ・バター・クリーム・タマネギ・パプリカなどを
練りまぜたオバッダ(Obatzda)も人気で、
黒パンにつけてビールのおともにします。

さらにジャガイモ・サラダやザワークラウト(酢漬けキャベツ)といった伝統食や、
バイエルン名物の雄牛のしっぽ、
大根を薄く輪切りにしただけのラディ(Radi)なども人気があります。
ラディは、皿に盛られたナマ大根に塩をふって食べるだけで、
これまた素朴さがうりです、

ミュンヘンは、ドイツで3番目の大都市とはいうものの、
偉大なる田舎ってことで、
おつまみもストレートで、量が勝負で、
バイエルン地方の民族衣装とともに、
素朴さを演出しています。


また、ドイツらしさを祭りに見いだすとするならば、

その徹底した品質管理とエコの精神です。

たとえば鶏の丸焼きでも、抗生物質を使わず平飼で育てた鶏を提供する
自然食レストランがオクトーバーフェストでもちゃんとあります。

有機栽培ビールこそは出展していませんが、
安全なソーセージや有機野菜のサンドイッチ、
飴をからめたナッツや焼菓子などは
自然食品店系列の店がちゃんとあります。

一般の店と値段の格差があまりないことも
そんなドイツ精神を体現しているのではないでしょうか。

このオクトーバーフェストは、六百万人を集めるお祭りでありながら
1997年にドイツ連邦政府が環境に配慮した大規模イベントに
贈る賞を受賞しているのです。

有機食材や無添加加工品などの使用枠の拡大に、
各テントの必要電力をはじめ遊園地の観覧車などの乗り物、
「エコ電力」(風力や水力など再利用可能なエネルギー源から得た
環境保全型電力)を取り入れたり、

1998年からビヤジョッキを洗った水を
トイレを流す水に再利用したり、

ゴミを減らす努力をするなど、そのほかにも環境に配慮した面が
そこかしこにみられるのです。

また、身障者用の特別駐車場とか
(一般の人は基本的に自家用車での来場は不可です)、
仮設テントやレストランの出入口には車椅子用のスロープがあり、
身障者用トイレなどもたくさん設置されていて、
車椅子で観覧車に乗ることもできるなど、
身体に障がいのある人も、訪れやすいような
配慮がされています。


ここも参考にしなければならないところですね。




さてさて、そんなお祭りの会場でありますミュンヘン。

「ミュンヘン~サッポロ~ミルウォーキー♪」
というかつてのサッポロヒールのCMソングが思い浮かんだら
同世代です。

オトモダチからはじめましょう。


そのミュンヘンがありますバイエルン州。

スイスおよびオーストリアとの国境に位置して
南部は山岳地帯となっているために、
夏は避暑・冬はスキーと多くの観光客が訪れる地でありますが

かつては、ドイツとは別の国でした。


と、いうか、ドイツが統一国家としてまとまったのは、
宗教的権威による超ゆるやかな結合である「神聖ローマ帝国」
(なんたって、ドイツやのに名前からしてローマ帝国ですからね)

それ以降では、
1866年のプロイセン・オーストリア(普墺)戦争、
1870年の独仏(普仏)戦争によって、権勢を明らかにした
プロイセン主導のドイツ帝国ですが、

神聖ローマ帝国の時代から
スイス国境に封じられているのが、
バイエルン大公国(公国)だったのです。

神聖ローマ皇帝を選ぶ権利を与えられた
選帝侯として影響力を保持し、
30年戦争後、ウェストファリア条約での
帝国の滅亡後に近隣の領邦を併合して
バイエルン王国が成立しました。


1872年のドイツ帝国成立後も、
バイエルン王国は帝国の傘下で存続し続けました

最初バイエルンは、
一つの家によって長くおさめらることは
ありませんでしたが、

1070年以降は、2度の中断があったものの
ヴェルフェン家が5代110年にわたってバイエルン大公位を保持し、
ヴェルフェン家はのちにザクセン大公位をも獲得し、
ドイツ国内で中心であった、ホーエンシュタウフェン朝に
対抗する勢力の領袖へと成長しました。

1198年にはドイツ王位をも獲得しますが、
バイエルン大公位は1180年にヴィッテルスバッハ家に与えられ、
以降、ドイツ革命で王制が廃止されるまで、
バイエルンは、ヴィッテルスバッハ家によって
治められました。

16世紀に入って、ドイツは宗教改革の中心となりましたが、
そのことで、国内も分裂し、
30年戦争などによってドイツ全体がガタガタになりまして、

このことがプロイセン台頭のきっかけとなります。

バイエルンは、18世紀に勢力をヨーロッパ全土に
広げようとしているナポレオンによって、
近隣の領土を併合した上で、王国に昇格され、
フランス帝国を盟主といるライン同盟の一員となりました。

ナポレオンの失脚後、バイエルンは
ウィーン体制のもと誕生をした
オーストリアを盟主とするドイツ連邦に参加し、

ウィーン体制の崩壊後は、
オーストリアとプロイセンとの勢力争いで
オーストリアに同情的であったため、
プロイセンから距離を置き

プロイセン主導のドイツ統一を目指す
北ドイツ連邦には参加せず、

その後、普墺戦争・独仏戦争を経て
勢力を強めたプロイセン中心に、
連邦国家のドイツ帝国が成立しまして、
バイエルン王国は帝国の1領邦となりました。


が、ドイツが第一次世界大戦に敗れると、
混乱の中で勃発したドイツ革命により、
1918年に国王が退位し、
バイエルン王国は滅亡しました。



そもそも、オクトーバーフェストのはじまりは、

バイエルン王国初代国王
マクシミリアン一世の子である
王太子ルートヴィヒと、公女テレ-ゼとの
結婚の祝宴でしたが、

時はライン連邦末期の時代でした。

ルートヴィヒは父親の死後、1825年に王になると、
文化事業に理解をしめし、数多くの建造物を造り
ミュンヘンを文化都市にするために尽力します。

また、芸術を奨励する一方、大学の移転や工業化の奨励。
マイン川とドナウ川の間にルートヴィヒ水路を作る事業を始めるとともに、
1835年、ドイツ初の鉄道を敷設します。

また、ギリシャ独立戦争も支援し、
自由主義的な政策をとっていたましたが、
1830年のフランス7月革命後は反動化します。

このフランス7月革命で即位した
ルイ・フィリップの施策への不満から、
おきたフランス2月革命と、その影響で起きた
3月革命のことを1848年革命といいますが、

そのさなか、ルートヴィヒ一世は
愛人の1人で高級娼婦であるローラ・モンテスとの
スキャンダルによって退位し、

長子マクシミリアン2世に譲位します。

ルートヴィヒが死去したのはその20年後の1868年ででした。

後を継いだマクシミリアン2世は、
「もしも私が王の生まれでなかったら、
大学教授にでもなっていたであろう」
と言っているほど、学問に理解のある王で、

父の政治方針を引き継いだことで、
鉄道網、電線がひかれ、町にはガス燈が灯り、
都市での工業化が進みました。

が、父の死より四年前の1864年に
急逝しました。

このあとをついだのが、

バイエルン王国で最も有名な、

リヒャルト・ワーグナーを庇護し、のちに「狂王」と呼ばれた
ルートヴィヒ2世です。

マクシミリアン2世の子として生まれたルートヴィヒは、
祖父にあたるルートヴィヒ1世の名前をとって
命名されましたが、

彼が誕生した3年後に祖父が退位し、父が国王として即位。
ルートヴィヒは王太子となります。

父が執務で忙しかったため、
彼は多くの時間を、中世の城で、
ゲルマン神話と騎士伝説などの物語をムサぶるように読むことで費やし、
それが彼に大きな影響を与えることになります。

1864年3月10日、マクシミリアン2世の逝去で
ルートヴィヒは王として戴冠します。18歳のことでした。

190センチを超える長身に、
母親ゆずりの美貌を持ち合わせていた若き王は
国民の信望を集めましたし、
自らも理想の政治を行うことを願いました。

就任当初から執務にまじめに取り組み、
国民の前にもその姿をしばしば見せました。

が、彼が王の仕事として、最初にしたのが、
幼少の頃から憧れであった
作曲家リヒャルト・ワーグナーを宮廷に招いたことだったのです。


ワーグナーは、作曲家としての名声こそは高いものの
祖父ルードヴィッヒ1世の失脚と、間接的に関係のある、
3月革命にリーダー格として参加し、
逮捕状がだされるなど、危険な革命家と見られていました。

また、持ち前の贅沢好みによる放蕩がたたって
あちらこちらに借金を重ねるなど
経済的にも苦しかったワーグナーにとって
願っても無い話でした。

王はワーグナーが安心して作曲に専念できるようにと
破格の金銭贈与と邸宅まで与え、
多額の借金の尻ぬぐいまでしているのです。

このような王のふるまいに対して、
多くの家臣は噂の悪いワーグナーの召喚を
快く思わなかったのです。

結局、王は家臣の反対を受け入れ、
1865年12月、ワーグナーを一時追放しました。

この後も、王はワーグナーに対して支援を続けますが、
執務を嫌うようになりまして、

幼い頃からの夢であった騎士伝説を実現すべく、
中世風のノイシュヴァンシュタイン城を作り、

また彼が敬愛しているルイ14世にならって、
ヴェルサイユ宮殿を模したヘレンキムゼー城、
トリアノン宮殿を模したリンダーホーフ城など
豪華な建築物に力を入れるようになりました。

ノイシュヴァンシュタイン城は、ディズニーランドの
シンデレラ城のモデルになったことでも有名です。



1866年、普墺戦争が勃発し、
戦争を嫌うルートヴィヒは中立を主張しますが
聞き入られず、退位さえ考えたましが、
バイエルンはオーストリア側で参戦することになり、
かつ戦争には敗れしまい、
バイエルンはプロイセンに対して多額の賠償金を支払うことになります。

これでますます政治に対する興味を失います。

また、ルートヴィヒ2世は近侍させた美青年たちを愛し、
女性を嫌忌していたましたが、
従姉妹にあたるゾフィーとの婚約が発表されましたが、
婚期をのばしたうえ、婚約を解消してしまいます。

しかも、普仏戦争が原因となって、弟のオットー1世が
精神に異常をきたしてしまいまして、

これらのことがあいまって、
ルートヴィヒはますます現実から逃れ自分の世界に入り、
昼夜の生活が逆転してしまいます。

王は一人で食事を取り、あたかも客人が来ているかのように語っていたり、
夜中にそりに乗って遊んでいたところを地元の住民に目撃されたりなどの
奇行から、「孤独の王」「おとぎの国の王」と言われました。

危惧を感じた家臣たちはルートヴィヒの廃位を計画し、
1886年6月12日にルートヴィヒを逮捕し廃位しました。

そして、ルートヴィヒはベルク城に送られ、
翌日の6月13日にシュタルンベルク湖畔の小さな町ベルグで、
医師のフォン・グッデンと共に水死体となって発見されました。

その死の詳細は、未だ謎のままです。

ルートヴィヒ2世は一般に精神病のために廃位されたとされますが、
実情は、夥しい建築費をはじめとした放蕩を続ける王と
バイエルンの国をおそった恐慌に、その原因があったとされます。


そんなルードヴィッヒの作ったお城と
ルードヴィッヒの祖父が始めたお祭りが、

バイエルンのみならずドイツを代表する
観光資源となっているのも

皮肉な話でありますがね。



あと、ビールに関してですが、
サッポロビールのホームページで、
こんな記事をみつけました。


topics ホップとインフルエンザ

ホップ抽出物のインフルエンザ感染阻止機能を実証

ホップの効能については、安眠作用や鎮静作用があると古くから言い伝えられていますが、ビール原料として使われる以外に、あまりその有効な活用方法はありませんでした。ビール原料に関して長年、研究を続けてきたサッポロビールでは、ホップのビール・発泡酒原料用途以外での可能性を広げることが大きな課題でした。

研究ではホップ抽出物に含まれるホップフラボノールがインフルエンザウイルスの表層に付着する性質が強いことに着目。その性質によりインフルエンザウイルスの動物細胞への吸着を阻止することで、細胞内への進入を阻害しウィルスの増殖を食い止めることができると仮説を立て信州大学大学院農学研究科 保井久子(やすいひさこ)教授と共同で実験を開始しました。

先ずは培養細胞を用いた試験管内実験でインフルエンザウイルスの動物細胞への感染阻止作用を実証し、続いてマウス実験※を行いました。実験ではインフルエンザウイルスとホップ抽出物を混合した溶液と、ホップ抽出物を混合しないインフルエンザウイルス溶液をマウスに経鼻投与し発症率を比較しました。結果はホップ抽出物を混ぜなかった溶液を投与したマウスはすべて発症し、ホップ抽出物を混ぜた溶液を投与したマウスは一匹も発症しませんでした。

これでホップ抽出物にインフルエンザウイルス感染を阻止することが認められ、特許を出願しています。
このホップ抽出物の機能はインフルエンザ感染阻止のマスクやのどあめ、エアコンのフィルターなどの原料素材として利用できると大いに期待しています。

※実験ではA型インフルエンザウイルス(H1N1型)を使用しましたが、その他のタイプのインフルエンザウイルスにも同様の機能があると期待できます。


新型インフルエンザのはやっている時期だけに
なんだか、おおおと思ってしまいました。

ビールってイゴいですね。


そんなビールの力を気づかせてくれるのが、
オクトーバーフェストですが、

なぜ、ひたすら飲んで食っているだけの
お祭りが観光客を、リピーターを
呼ぶのでしょうか。

一つ考えのヒントとなるのが、
幸せの物差し。って考え方でしょうか。

先日HBCラジオの番組で、
トルコの夜の話をしていまして、

トルコの人々は、経済的には決して恵まれているとは
言えないけれども
夜はスゴく楽しそうに、みんな外に出て
お酒をのみながら陽気に騒いでいて、

30年代のニッポンもこうだったのかと
思わせるような、景色が展開されているそうです。

これは、お金があるから幸せ、といったこと以外にも、
幸せをはかるものさしがあって、

だからこそ、経済力がなくても、
楽しそうにお酒を楽しむことが出来るのだ。

と、漠然と思ったりして、


沖縄とか、タイも中毒性の強い
観光地でありますが、
どこか似たようなものがあるのかもしれません。

体験を共有した人と話しをした時などに、
じわじわとその地に行きたくなる

そんな魅力の根源はどこなのでしょうか。


生活は苦しいけれど、
でも他に楽しさがあって、

経済的に恵まれているだけが
幸せというのではない。

実は、そんなのを発信できるような場所であれば、
より楽しく生活できるし、

そんな空気に観光でふらっと来た人も
感染をしていくと良いのです
ないのかな~と思うのです。

富良野は、そんな可能性がある土地ですしね

色々な意味でのファンが
増えるのではと思いますし…

観光ってものを考える時の、
ヒントになるのではないかと思っているのです。

そのためには、僕らが生活を楽しむとともに、

地元のために出来ることは何か、ということも
考えなくてはいけないかもしれません。

先日初のCS出場を決めた、東北楽天ナインが、
地域の応援でがんばれたので
地域に貢献をしたい。と言っていました。

これは、スポーツ選手だけではなく、
僕たちががんばっているのも
地域に支えられている面もありますしね。

僕が今していることはボランティアのラジオとブログ

その延長線上と考えている市民講座などでのお話ですが…

まだまだ出来ることはあるはずです。




そうそう、オクトーバーフェストについては
今年はもう終わりですが、

日本からのツアーも組まれています。
八日間で、300000~400000円程度ってとこっすかね。
来年は200周年なのです。
2010年9月18日~10月3日 の開催です。

興味のある人は、いかがでしょうか。





ヘタリアに言論と表現の自由を!
民族浄化[ここでは、ある民族のみを浄化した姿で描けという要求]反対!
自由ヘタリア救国民族解放戦線の「イトー×ani」がお届けする
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
北海道富良野市・上富良野町・中富良野町など限定で聴く事が出来る、
コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」の
月曜午後五時からオンエアー中

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〒07 6-0026 富良野市朝日町5-17 レストランふらの広場内ラジオふらの
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