FHF
九月も最終週に突入。
明後日からは十月です。

秋の大型連休も終わり、
連休の最終日は秋分の日でしたが、

これからは次第に夜が長くなっていきます。

今週末には中秋の名月です。

今までは目に鮮やかな刺激をあたえていた
山の緑の色が少し穏やかになったかと思うと

あっという間に紅葉がすすんでいます。

田んぼの稲もすっかりと実りが詰まった黄金色の穂を
風にそよがせています。

そんな季節の変化が楽しみでもある
時期であります。


9月28日 オンエア 第233回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
です。


「食欲の秋」の言葉どおり、
道内・外のあちらこちらで
食べ物のイベントが花盛りでありますが、

こんなニュースがありました。


【9月20日 AFP】独バイエルン(Bayern)州の州都ミュンヘン(Munich)で19日、世界最大のビールの祭典「オクトーバーフェスト(Oktoberfest)」が開幕した。
 クリスチャン・ウーデ(Christian Ude)市長が1810年以来の伝統に従い、正午きっかりに最初のビール樽を割り、2週間にわたる祭典の開始を宣言した。
 176回目を迎えた今年は、伝統的なビアマグ1杯分の価格が0.3ユーロ(約40円)上がって8.1~8.6ユーロ(約1090~1160円)になったほか、報道陣に対し「酔っぱらって上半身をあらわにした人」の写真撮影禁止が申し渡された。
 来場した経済学専攻の学生(18)は「みんな飲んで楽しむためにここに来る。僕は5リットル飲なないと完全には酔っぱらえない」と話し、「世界一高いビールだ!政治の話はもういい!」と気勢を上げた。ドイツは一週間後の27日に総選挙を控えている。
 バイエルン州のジャーナリスト団体は撮影に制限が加えられたことは事前検閲にあたるとして反発している。「オクトーバーフェストはただの牧歌的なお祭りではない。この大イベントを記録することは公共の利益だ」と話している。
 例年600万人が訪れ、600万リットルのビールが消費されるオクトーバーフェストは、ミュンヘン市に8億3000万ユーロ(約112億円)の経済効果をもたらす。会期中にはグラスやビール瓶を武器にしたケンカが起きることもある。(c)AFP


秋は食べ物だけではなく、
お酒も美味しくなる季節ですが、
世界最大にして、200年近い伝統を持つビール祭り
「オクトーバーフェスト」が今年も開幕したのです。

オクトーバーフェスト(ドイツ語で:Oktoberfest)は、
上の記事にもあるとおり、
スイス・オーストリアと国境を接する
南ドイツのバイエルン州の州都ミュンヘンで開催される
世界最大のビール祭りです。

1810年以来、ミュンヘン市の西部、
テレージエン・ヴィーゼ(ヴィーゼは緑地の意味)で
9月半ばから10月上旬に開催され、
毎年600万人以上の人が会場を訪れています。

お祭りのために特別に造られる「オクトーバーフェスト・ビール」や
これまた、お祭りのためだけにつくられる移動遊園地、

参加者が着ているバイエルンの民族衣装など、
見どころが目白押しな
ビールの都ミュンヘンが誇る一大イベントなのです。


600万人というと、日本最大の人出を数える
青森のねぶたが300万人超、

仙台七夕や、博多どんたく、
北海道ではYOSAKOIソーランが
200万人台

国外に目を移すと、あのリオのカーニバルでも
400万人台ですから、
その参加者の多さがわかるでしょう。

参加者の7割が地元バイエルン州から
残り3割の半分がドイツ国内、半分が国外からの観光客で、
外国人だけで100万人近くを集めるのです。


会場のテレージエン・ヴィーゼは、42ヘクタールの巨大な敷地で
東京ドーム9個分
大まかに言うと、一辺が640メートル四方の土地
富良野市で言うと、富良野駅から五条大橋が
だいたい640メートルです。

そんな敷地に一万人近く収容できる
大手ビール会社や個人が運営する
14の大テント(ビアホール)と、
中・小規模のテントが16立ち並びます。
テントの外にはさらに数千席が用意されていて、
トータルで席数は十万席弱という規模で
これらが期間中は、
朝から晩まで通して満員状態になり、
ものすごい熱気が漂いまして、
席を取るのは至難の業です。


各会場は中央にステージが設置され、
ブラスバンドなどが演奏し
バイエルンの陽気な民族音楽やポップソングに合わせて、
人々はビールジョッキを片手に酔っ払いの大合唱となり、

歌うだけではおさまらず椅子の上に立ち上がって踊ります。
時々、音楽とともに乾杯の合図が流れてくると、
一斉に「Prost(プロースト=乾杯)!」というかけ声が
会場全体に響き渡ります。

このとてつもなく広い会場に、大音量の音楽、
そして、椅子の上に乗って踊る人々のテンションの高さは、
かなり衝撃的で、日本ではあり得ない騒ぎ方なのです。

また参加者の7割をしめる
地元バイエルンの人々が着ている
バイエルンの民族衣装も
外から行った観光客にとっては見所です。

女性はチェックやストライプ、
花柄などのふわっとした農民風ワンピース、
男性は革の半ズボン。若い人も年配の人も
みんな普段は着ない伝統的な衣装を身につけて
出かけていますから、
日本人が祭りのために浴衣を着るのと似ている感覚ですね。


で、このお祭り、
もともとは新しいビールの醸造シーズンを祝うお祭りで、
大企業から中小メーカーまで含めて
ビール醸造所の多いドイツでは、
どこでも行われていました。

ミュンヘンのお祭りが本格化したのが、

かつて独立国であったバイエルン王国の
王太子ルートヴィヒ(のちのルードヴィッヒ一世)と
テレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼンの結婚式が、
1810年10月に都市の城壁の前の緑地で行われた際に、
結婚を祝って、緑地で大規模な競馬が催されたことがきっかけです。

王太子ルートヴィヒは古代ギリシアに関心が深く、
家臣に古代オリンピックの競技会のようなスタイルでの
祭りを開きたいと提案しました。

この提案が熱狂的な歓迎を受け、
まず主としてスポーツ大会のような形で
この祭りが挙行されました。

これが今日、近代オリンピックの原型といわれています。


バイエルンの王宮は市民を喜ばせるために、
翌年も同じ時期に競馬を繰り返し開催すると発表し、
これによってオクトーバーフェストの伝統が始まったのです。

そして、結婚式、競馬が行われて以来、以来この緑地が、
王太子妃テレーゼの名前をとって、
「テレ-ゼの緑地」と呼ばれるようになりました。


ところが、19世紀のヨーロッパは
帝国主義の萌芽期ともいうべき
弱肉強食の時代でした。

また、バイエルン王国は、それほど強国ともいえず、
国際社会のなかで翻弄をされていくのですが、
結婚式の3年目にあたる1813年には
バイエルン王国がナポレオン戦争に巻き込まれたため
すでに中止の憂き目にあっています。

その後、会場である緑地は年々拡大していき、
最初は競馬場で競馬のみが行われていましたが、
1816年に装飾品などがもらえる福引場がオープンして、

1818年にメリーゴーラウンドと二機のブランコが
設置されたのをかわきりに、
木登り場所、九柱戯場などが増え、

お祭りはさらに盛り上がりを見せることになります。

1819年にはミュンヘン市当局が祭りの開催を引き受け
それ以来、オクトーバーフェストは毎年開催されるようになりました。


1835年にはバイエルン王となったルートヴィヒ1世と
王女テレーゼの結婚25年を記念して、
初めてパレードが行われ、
1850年以降はパレードがオープニングを飾る毎年恒例のイベントとなり、
オクトーバーフェストのメイン行事の一つとなっています。

19世紀末までに祭りは発展し、
次第に国民的祝祭のレベルまで達し
それが今日では世界的に知られる祭りにまで至るのです。

開催期間も延びて、また比較的温暖で天候が安定しているため
大部分が9月に開催をするということになり、
結婚式が10月12日、競馬は17日に行われた伝統を尊重して、
オクトーバーの名を損なわないように
10月最初の日曜までを開催期間としました。



1880年には、市当局がビールの販売を許可し、
400以上のブースやテントが電気の明かりで飾られました。

1881年にはブラートヴルストと呼ばれる焼きソーセージ
その他を販売する移動店舗が初めて登場しました。

1887年初めてオクトーバーフェストの運営スタッフと
ブルワリー関係者の入場が行われ、
この催しでは見事に装飾された馬に乗ったブルワリーの一団と
テント内で演奏するバンドが披露されました。

これが、先のパレードとともに、
現在も毎年オクトーバーフェストの最初の日曜に行われ、
祭りの正式な始まりと、
祭りを象徴するものになっています。

19世紀終わりまでビール・ブースと呼ばれる仮小屋の中には
ボウリングの前身となったゲームであるスキトルズのレーンに、
大きなダンスフロアがありましたが、
音楽演奏会場に観客席を増やすため、
醸造組合が醸造工場のあった跡に巨大なビアホールを建設、
1896年にビールテントが設置されて
現在の形に近づいています。

ただし、前述したとおり、バイエルンは
南ドイツの大きいとはいいがたい国でして、
19世紀の帝国主義萌芽の中に
翻弄されるような形で
何度か祭りの開催が流れています。

1854年と1873年はコレラの流行で流れ、

1866年のプロイセン・オーストリア戦争、1870年の独仏戦争でも
中止されています。
独仏戦争後、ドイツは統一されて
バイエルン王国自体はなくなりましが、

お祭りは続きます。


ただ、1914年から1918年までは第一次世界大戦のため
祭りは開催されてなく、
終戦後の1919年・1920年には
ささやかな秋の収穫祭として開かれただけで、
戦後の経済混乱から立ち直れない1923年・1924年も
世界的なインフレーションで中止されたました。

また、ナチス政権下の1939年から1945年までの
第二次世界大戦の間も、祭りは開催されていません。

戦後の1946年から1948年までの3年間は
小規模の収穫祭として最低限のレベルで行われますが、

その後、次第に以前の規模が戻るようになり、
1950年には、初めてミュンヘン市長による
ビールの樽の口開けによって祭りを開幕するようになります。

これ以降、
正午の12時の礼砲を合図に、
現役ミュンヘン市長がオクトーバーフェスト用ビール樽を開栓し、
"O'zapft is!"(バイエルン方言で「酒が開いたよ!」の意)と叫ぶ、
というオープニング儀式は毎年恒例となっています。

その一方で、競馬は1960年の150回目の記念式典を例外に
開催されなくなりました。

1960年頃までには、近隣諸国や、日本、アメリカ、
ニュージーランドの観光客がこの祭りに目をつけて、
世界中にこのミュンヘンの祭りを広めました。

このような外国人観光客が作り上げたイメージが定着し、
民族衣装を着るというスタイルが定着をしたのでした。

このような歴史を経て大きくなってきて、
現在にいたるわけです。



前述したような歴史のあるパレードは、
現在では、イベントの開催を告げる
ミュンヘン市長とミュンヘンの市章ミュンヒナー・キンドルに扮し、
黒いフード付きマントを着た女性が馬に乗って先頭を行き、

その後に、ビヤ樽を積んだ地元ブルワリーの馬車が続きまして、
フェスティバル運営者の顔見世パレードになっています。

2日目にはバイエルン出身の8,000人が
伝統的民族衣装を着て、マクシミリアン通りを
ミュンヘンの中心街を通ってオクトーバーフェストまで歩いていく
パレードもあり、これも見物となっています。

このようなイベントとともに、

ジェットコースターやフリーフォールなど
絶叫マシン系に、バイキング、メリーゴーランド、
お化け屋敷、それから上からはオクトーバーフェストの会場全体、
さらにはミュンヘンの街並みが見渡せる大観覧車など
がある移動遊園地などが名物になっています。

移動遊園地というくらいですから、
毎年この期間のためだけに組み立てられ、
お祭りが終わると、会場の巨大テントとともに、
撤去されます。

ただ、パレード、遊園地などもありますが、

お祭りの基本は
ひたすらビールを飲むことだけなのです。
なんたって、消費されるビールが
600万リットルですからね。


ここで提供されるのが、
ミュンヘンのビール醸造所が特別に造る
「オクトーバーフェスト・ビール」

オクトーバーフェストに出展できるのは、
ミュンヘンのビール醸造所のみで。
ライオンがトレードマークのLöwenbräu(レーヴェンブロイ)
以下、Augustiner(アウグスティーナー)
Hofbräu(ホーフブロイ)
Hacker-Pschorr(ハッカー・プショア)
Paulaner(パウラーナー)
Spaten(シュパーテン)
の、計6大メーカーが毎年このビール祭りのために、
特別にビール(ヴィーゼンビィアー、緑地ビールの意)を
非常に多量のホップを用いて
かつ、原麦汁濃度が通常より高いものを使い、
アルコール度数が6%前後と高アルコール度で醸造し、
提供しています。
そのため、普通のビールより甘みが少し強く、
麦芽の味がきいています


またオクトーバーフェストでは、
基本的に、ビールは1リットルサイズしかなく。
この1リットルジョッキは「Maß(マス)」と呼ばれます。

しかも、何回乾杯しても割れないようにということで
陶器が使われているのも、伝統を感じます。

さて、このオクトーバーフェストが行われている
バイエルンとはどのような国だったのでしょうか。

と、いうお話は、また来週であります。






ヘタリアに言論と表現の自由を!
民族浄化[ここでは、ある民族のみを浄化した姿で描けという要求]反対!
自由ヘタリア救国民族解放戦線の「イトー×ani」がお届けする
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
北海道富良野市・上富良野町・中富良野町など限定で聴く事が出来る、
コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」の
月曜午後五時からオンエアー中

番組へリクエスト・メッセージは
〒07 6-0026 富良野市朝日町5-17 レストランふらの広場内ラジオふらの
E-mail radio@furano.ne.jp FAX 0167-22-2775

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