2009.09.07 開港150年
FHF
長月9月、最初の放送です。

9月ということで、2009年も三分の二が
過ぎたことになります。

朝晩の気温もグッと下がり、
体感的にも暦の上でも秋へと突入です。

最近クルマで富良野郊外を走っていますと
自転車で走る人の姿をよく目にして、

なんでかなと思っていたのですが、

今週末に、ツール・ド・北海道が
あるのです。

旭川・富良野のステージは
旭川から白金温泉を経由してから、
十勝岳のすぐしたの山岳コースを経て
吹上温泉や十勝岳温泉の横を走って
富良野市街へ出て、

三笠経由で岩見沢へというコースだそうです。

ツール・ド・北海道もそうですが
秋を感じるイベントが増えてくるのも

この時期ならではですね。



9月7日 オンエア 第230回放送分
「FURANO History Factory(=FHF・フラノヒストリーファクトリー)」
です。

さて、先週まで外交の話をしていまして、
外交のニュースには敏感になってしまうのですが、

先週は、こんなニュースがありました。



マンハッタンのバスに独島映像広告、韓国系企業が設置
9月4日15時7分配信 聯合ニュース

【ニューヨーク4日聯合ニュース】世界の人々が集まる米ニューヨーク・マンハッタンの観光バスに、独島(日本名:竹島)と東海(日本名:日本海)を広報する映像広告が出され、注目を集めている。
 韓国系では米東部最大手の東部観光会社が出したもので、自社が運営する2階建て観光バスに5メートルの大型LED(発光ダイオード)電光板を取り付け、15秒の広報映像を流している。映像には北東アジアの地図が映し出され、「知っていますか。過去2000年間、韓国と日本の間の海は『東海』と呼ばれてきました。東海にある独島は韓国領土の一部です」と、大きな字幕が流れる。続いて「DOKDO」という大型字幕が登場し、独島の写真が鮮明に映し出される。
 ニューヨーク市内の主要観光地であるタイムズスクエア、セントラルパーク、ウォールストリート、国連本部などをめぐるこの観光バスは、先月20日から1日1000回以上この広告を流し、ニューヨーカーや観光客の注目を集めている。
 東部観光会社のチョ・ギュソン代表は、「日本との領土問題が浮上するたびに不快感を感じた。世界の中心地であるニューヨークで堂々と、独島は韓国の領土で、東海は東海にすぎないことを伝えたかった」と話した。
 バスの15秒広告の単価は月600万ウォン(約44万円)を超えるが、チョ代表は6種類の広告のうち、1つを独島広報に割り当てた。年間で7000万ウォン以上を独島広告に投じていることになる。チョ代表の計画通り、領土問題がなくなるまで広告を続けるなら、決して少なくない金額になる。
 広報効果はチョ代表の期待を上回っている。
 動くバス広告に「ファンタスティック」と歓声を上げるニューヨーカーや観光客は、独島広告からも目を離せなかった。通りかかった30代女性は、韓国と日本の間にある海が東海ということを初めて知ったと話し、独島が「寂しい島」という意味だと知ると、「すばらしい」と答えた。
 コリアタウンで飲食店を営むある在米韓国人は、「歌手のキム・ジャンフンさんがニューヨーク・タイムズに独島広告を掲載し、ウォールストリート・ジャーナルが東海を日本海の前に表記した。今回はマンハッタンの観光バスに広報広告が登場し、まるでニューヨークが『独島は韓国領土』運動のメッカのようだ」と話した。



またもー、この国の人は
なんでこんなことするかな~って
感じの記事なのですが、

総選挙が終わってから、
今までもあったこの手のニュースですが
なんだか増えたような気がします。


領土を係争(日本が百歩譲って係争にしていまして
竹島が韓国や韓国以前の朝鮮半島の国々の関係を考えても
捏造された古地図以外に朝鮮の支配かであった
証拠は全くないのにもかかわらず) している土地に対して、

正当な手続きをとらずに、
この問題のよく知られていないところで
大きい声を出すという…

うむ、どうしてあの国はこーなのかなーと
思ってしまうニュースです。


これも、民間企業が行っているとこととはいえ
独島広報活動の話で紹介をした「キム・ジャンフン」さんが、
国内で評価されたのが、
本職の歌手の活動ではなく、
売り上げを独島問題に投じていること。
そんなお国柄の根っこを支えているのが、

やはり国の施策であることを考えると、

なんともやりきれない思いです。

対馬に対するかの国の領土的野心とか
在日参政権に改正国籍法の問題もあわせて、

なんとか強硬な姿勢で対処をすることを

新政権には心からセツに臨みたいのですが。




さて、先週までお話した
江戸時代の北方探検の歴史とか
日露交渉史に名前が出てきたのが

箱館でして、

僕自身も大好きな町であるということで
年に何度か訪れています。

こちら北海道のホームページの記事です。


「函館港は、1859年(安政6年)に横浜港・長崎港とともに日本最初の国際貿易港として開港してから、本年150年目に当たります。
開港以来、函館港は国内外の交流の玄関口として発展し、港を通じて多くの人やものが運ばれるとともに、文化・情報なども本道にもたらされてきました。
函館市では、開港150周年となる本年を記念の年として祝い、こうした歴史と伝統を振り返り、先人の業績を称えるため、記念式典を行うとともに数々の記念事業の実施が計画されています。」


これを読むと、そのままふーんって感じで
素通りをしてしまう内容ですが、

東京へ行ったときに函館以上に横浜が
開港150年を祝っているのを見たときに

僕は一瞬???と思ったのです。

日本史の授業でも教わったのですが、


1854年 日米和親条約によって下田と函館が開港をし、

1859年 日米修好通商条約によって
長崎・神奈川(のち横浜)・函館・兵庫(神戸)・新潟
が開港をしたのですよね。

なら、なんで函館は横浜に先駆けて
5年前に行事をしなかったのか…。


ただ、調べていて納得したのですが、
日米和親条約での開港は、
あくまでも補給港としての役割に過ぎず、

日本初の国際貿易港として開港して、
外国人居留地が設置されたのは、あくまでも
1859年のことだったのでした。

なるほど。


さて、現在の函館市は、
人口二十八万人を超える
北海道内では札幌・旭川に次ぐ第3の町です。

函館と行って思い浮かべるのは、朝市に象徴される、
漁業が盛んであるのに加え、
港湾を中心とした陸・海・空の交通の要衝であります。

また、函館山からの夜景が美しく、
陸繋島の独特な地形に広がった街の灯りに
津軽海峡に浮かぶ漁り火が花を添えていて
世界三大夜景とか日本三大夜景と呼ばれています。

そんな観光と漁業の街でありながら、
道内3位の都市ということで、
道南地方の行政・経済・文化の中心、拠点として
発展をしています。


さて、その函館ですが、
古名を「宇須岸」といって、
「宇須岸」の名が文献に最初に登場したのは、
17世紀のことです。

この時代に書かれた松前藩の文書「新羅之記録」の中に
15世紀のアイヌの武装蜂起のことが書かれていまして、

いわゆる「コシャマインの戦い」です。

応仁の乱の10年前にあたります1457年に起きた
和人に対するアイヌの武装蜂起がコシャマインの戦いで、

当時既に道南に進出している和人は
製鉄の技術を持たなかったアイヌと
鉄製品などを交易していましたが、
交易途中で起きたいさかいと殺人事件がきっかけで

東部の首領コシャマインを中心にアイヌが団結し、
1457年5月に和人に向け戦端を開きました。

この戦いは、後に蠣崎氏をつぐことになる
武田信広にコシャマイン親子が射殺されることで、
1458年に大規模な戦いは終結しました。

「新羅之記録」には
「中比(なかごろ)内海の宇須岸夷賊(いぞく)に攻め破られし事」
とあってその中に、
「夷狄(いてき)蜂起し来って……箱館の河野加賀守政通を攻め撃つ」
とあるのです。

ということで、
宇須岸と箱館は同じ文書に登場をしていました。

武田信広は若狭から安東氏の庇護を受けながら
蝦夷地へとわたっていきましたが、

同じく安東氏の庇護のもと
1454年ごろ、下北半島の大畑から蝦夷地へ渡ったのが、
河野政通で、この人が漁村に館を築いたとされています。

この人は伊予の河野氏の一族と言うことになっていますが、
河野氏の系図に「政通」の名はなく、
よく出自はわかっておりません。



宇須岸は、元々は「湾の端」または「西の端」を意味する
「ウショロケシ」というアイヌ語だったと言われます。

そして、18世紀に書かれた松前藩「福山秘府」によると、
宇須岸は「函館邑」のことであろうと述べられています。


さて、宇須岸がなぜ箱館と呼ばれるか
というと、さきほど登場した河野政通の館と
関連しているとみられまして、

いわゆる有名なのが、館が箱形に見えたという説でして、
これは函館市のHpにものせられていますが、

さる郷土史家のお話を聞いた時には
アイヌ語の「ハクチャシ(小さな砦)」が転化した、
と考える方が自然である。

などとおっしゃっていまして、
目から鱗が落ちた感じでした。


18世紀くらいになると、
完全に宇須岸の名前は箱館にとってかわられることになり

旧函館区公会堂や旧イギリス領事館を訪ねる観光客でにぎわう
基坂の一角に立つ「宇須岸河野館跡」という説明版に、
そのなごりが残っているのみのようです。



その後、江戸時代の後期には、高田屋嘉兵衛が箱館を拠点にし、
蝦夷地交易の場として栄えるとともに、
松前藩の役所が置かれましたた。

その後、幕府の方針で蝦夷地が天領となると幕府の奉行所が置かれ、

その後は、 1854年の日米和親条約によって補給港となり

1859年の日米修好通商条約により、
日本初の国際貿易港として開港し、
外国人居留地が設置されることになるのです。


だから今までの番組内でお話をした
ペリーとかプチャーチンも箱館には来たことがありますし、

プチャーチンを乗せた船、ディアナ号の修理に当たって、
搭載していた砲が、幕府に譲渡され、
その後、函館要塞築城に際し、搬送設置されました。

このうち4門は、函館戦争の際、回天に搭載され、
官軍と交戦し、
沈没した回天より引き揚げられた砲は、
今は函館と靖国神社に展示されています。

さて、これまでが
「箱館」の話ですが、

「箱館」が「函館」となる前後の話については
また来週のお楽しみであります。








チベットに対する提案は以下の通り。
(1987年、アメリカ議会の人権問題小委員会での「チベットに関する5項目の和平案」)

・チベット全土を平和地域とする
・チベット民族の存続を脅かす中国の人口移動政策を放棄する
・チベット民族の基本的人権および民主主義に基づく自由を尊重する
・チベットの自然環境を保護し、回復させる。チベットでの核兵器の製造、核廃棄物の投棄をしない
・チベットの将来の地位について、また、チベット人と中国人との関係について、真剣な交渉を開始する

そして、チベット人による本当の自治権が得られれば独立は求めないと譲歩しました。(1988年、「ストラスブール」提案)




ヘタリアに言論と表現の自由を!
民族浄化[ここでは、ある民族のみを浄化した姿で描けという要求]反対!
自由ヘタリア救国民族解放戦線の「イトー×ani」がお届けする
FURANO History Factory(F.H.F.フラノヒストリーファクトリー)
北海道富良野市と上富良野町・中富良野町など限定で聴く事が出来る、
コミュニティー放送局FM「ラジオふらの」の
月曜午後五時からオンエアー中

番組へのリクエスト・メッセージは
〒076-0026富良野市朝日町5-17レストランふらの広場内「ラジオふらの」
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